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仕事をしている人間には、二通りの人間がいる。お金が欲しいから働く人間と、その仕事にやりたいことを見つけて働く人間だ。たとえ自由業だろうとサービス業だろうと、お金が欲しくて働く人間はサラリーマン(給料人間)だ。
給料人間は悲しい。働くことの見返りが金だけの彼らは、どれほどの金を手に入れても満足できない。もっと、もっとと欲望だけが先行してしまうからだ。 たとえば、自分がやっていることで金を得ていない劇団員などは、他の仕事で稼いだ金をすべて演劇のためにつぎ込んだとしても、常に満足していられる。そこまで行かなくても、やりたい仕事をやっている人間は、報酬が少なくても、自分の行動に満足できる。自分のやりたい仕事をするというのはそういうことだ。 セックスを生業とするのも仕事の中の一つである。山田詠美さんの「ひざまずいて足をお舐め」のSM嬢たちも、単に金を得るためだけではなく、そこに来てくれたお客さんに、一番望んでいる形で満足してもらうことを大切にしている。彼女らのやっていることに最も近い仕事を考えると、カウンセラーや命の電話のようなものになるのではないだろうか。 もちろん金は大事だが、それだけではない。そういう世界で、金になると思ってそのためだけに入ってくる人間は、いつか破綻する。 そういう世界で相手を癒そうという気持ちを持つ人間は、自分自身もどこかに傷を負っていることがある。 「娼年」のリョウも、自らの持つ傷のために他人と深く関わることが出来なくなっている。そして、そのことを自分自身が自覚していない。 リョウをスカウトした女性は、慎重にリョウの資質を見定める。なぜなら、リョウがこれから触れ合うはずの相手は、自らのすべてを曝け出さないと得られない癒しを求めてきている人たちだからである。 肉体の接触は単なる手段の一つであり、もっとも深いコミュニケーションをとる時に、セックスが有効であるから使われるに過ぎない。肉体の接触が目的でない人間もいる。人は、皆それぞれに本当に求めている癒しのカタチを持っているのだ。それは、人間一人一人によってまったく違っている。リョウはそのすべてを受け入れることが出来るほど深い傷を負っているのだ。そしてそれは傷ではあるのだが、とても、とても甘い傷である。リョウはその傷を大事に、自分の中に抱えている。この世で一番大切な宝物として。だからこそ、リョウは、いわゆる普通の世界で完全な否定をされてしまうような想いも受け入れることが出来るのだ。 読んでいて、トーンが吉本ばななさんの作品とも通じるものを感じた。人は相手に癒されたいだけではなく、相手を癒すことによってより強い満足感を得ることが出来るという気持ち。人は、相手を慈しみたいのだ。 この話を読んで、物語の表層に囚われて、気持ち悪いと読むのをやめてしまう人も多いのではないだろうか。もったいないことである。 このお話は、人が本当に満足できるのは、受けることにではなく、与えることによるのだということを考えさせてくれるのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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