「アメリカ産」CTP絵本を、子供と読むことで思うひとりごと
3月1日の日記に記したような形で、CTP絵本読みもようやく1巡目で90冊目に入って来ました。今は、上記の日記に記しました通りで、息子は「さんすう」のセットをとても気に入って楽しんでいます。前置きはさておき、今日は、母が個人的に時折思う、「CTP絵本を読んでいてのひとりごと」をひとつ。。。CTP絵本をされている皆さんはどんな風に考えているかも、もし宜しかったら教えてくだされば幸いですm(_)mペコリ「The Magic Money Box」は、アメリカの通貨がたくさん登場します。当然、アメリカの硬貨は、日本では日常的には流通しておらず、日本の生活にドップリ浸かって、日本人の私達には日常、とても身近であるとは言いがたいです。が、それでも子供はそんなことはお構いなしに、大変興味深く見入っています。たまたま我が家にアメリカの通貨の一覧の載ったシートがあって、息子はそのことを記憶していて、この絵本を取り出すと、必ずわざわざこのシートを取り出してきて、いっこいっこ指差しして、これは同じだ、これも、とわざわざ確認しています。。。アメリカ人の視点で作られている絵本「Let’s Measure It!」もまた、アメリカで採用されている測量の単位の「inch」をもとに、さまざまなものを測ってみよう、というお話です。さまざまなモノが登場して、それを見るのがとても楽しいお話だと思います。この2冊を通してふと思うことがありました。もちろんこれまでも、このCTP絵本の中には、やはり、アメリカ社会の常識として登場するものが多数あって、当然ながら、この絵本はアメリカで発行され、アメリカ人の子供を基準にして、作られているものであるということで、そのことを再確認するものです。もちろん言うまでもないことで、ただ、その通りということなんですが。。。とりわけCTP絵本のセットの中でも「しゃかい」のシリーズなどにおいては、当然、そのような面が顕著に現れていると思います。例えば、「The World in a Supermarket」の絵本などにしたって、[Bananas from Honduras.]などとなっているけれど、日本人だったらほとんどの人が思い浮かべるのは、やっぱりバナナは台湾かフィリピンあたりだと思うのです。(もしかして、私だけでしょうか?)私だったら「Bananas From Phillippines♪」です(苦笑)。。。大体スーパーで手に取るのはここ産なもので。。。で、そういう私が言うならば、Bananas From Phillippines(or Taiwan) for Japanese・・・、(否、「そうじゃない!」って人もいるかもしれないから、for me ,も加えます・・・)Bananas from Pillippines (for me).それから、地図や昔の人などの出てくるお話もいくつもありますが、これも、完全に、アメリカの地図、歴史・人で、登場する子供はアメリカ人で、当然アメリカを中央にして内容が展開されています。日本人の子供から見たら、ここでババーンと出てきて欲しいのは、日本地図や昔の日本人というところでしょうけれど。。。。家の子くらいの年齢(2歳2ケ月)だったら、当然自分が何人だとかそういうはっきりとした概念がないので、ここでは特に問題にならないとは思います。さっきのバナナと同じで、これもUnited States のくだりを、日本地図を広げてお話を移行してみて、なおかつ、Japan、もしくは、まだまだニッポン、ニホン自体の概念というよりは名称自体入っていないから、そこに移行しても良いのかもしれないし、そしてもう少し大きくなった時に、自分に合った表現を入れていく。。という方法が良いのかもしれないし。。。そして、読めば読むほど、考えれば考えるほど、言葉というものは「文化・歴史そのものだ」ということを、こういうところからも痛感です。私達は、この絵本を通して、自分達日本(人)あるいは日本語について考え、何かを感じ、またそれ以外の文化や世界を感じているのだと思います。あるいは、「言葉はちがうけれど、人間は同じものも持つ」ということを学んでいる、ということもあるのかもしれません。CTP絵本という、ひとつの外国語の絵本を手にすることは、日本人が日本の絵本を通して、日本の文化や歴史をそこはかとなくその中から学び取っていくことと同様に、外国の文化や歴史を感じ取るということでもあるのだと思います。また、多くの絵本やお話が翻訳されて多く交換されて読まれていることと同様の効果もさることながら、私は、その言葉それ自体が持つ独特の雰囲気、つまり、その国の歴史や風土から生じた言葉のあるがままに読み、そこから感じられる感動をそのままに受け取れる喜びが絵本を読む中にはある。それは、多感な感性を持つ子供だからこそ得られる喜びである、ということに価値を感じるのです。例えば、英語ではなくても、英語を皮切りにして、その他の外国語に入っていったり、あるいは、英語でも何語でも、異文化・世界を感じることができたならば、それは、小さな子供にとって、もうひとつの世界を知る、喜びであるに違いないと思うのです。世界は今、さまざまな事件もあり、色々なことがあって、でも、それは国内で起こっている陰惨な事件などと同様のことであって・・・(このあたりのことはまた別の機会に譲りたいのですが)。大事なことは、小さな内にさまざまな絵本を幅広く読むことで、少しでも広い視野を持たせてあげることが、その子の生きる糧のひとつなっていくことだと、絵本を読む子供を見て、今私は強く感じています。