中学英語・自分自身の英語学習歴・英語教室回想(5)中学生クラス
■「英語・発音に苦手意識のある一親の疑問」後日記■前回の日記「英語・発音に苦手意識のある一親の疑問について考える」について色々なコメントを頂き、本当に有難うございます。また随時色々お寄せ頂ければ幸いです。その後日記になります。疑問の発信者のイトコに感想を聞きました。まず、「賛否両論出て大変参考になりました。有難うございます。」とのことでした。彼女の具体的取り組みとしては、レノールさんに頂いたBBSのコメントにあった件なのですが、イトコにもその点があって、実は中国語を自学していて、娘と一緒に少し取り組もうとしているようです。英語は昔から苦手意識があったようですが、やはり学校の科目として位置づけられている以上娘に自分のような思いを少しでもさせたくない、といった思いから色々考えている様子です。英語に関しては、lunoaさんご推薦の「CTP絵本」の1セットを取り寄せることに決めたようです。また、ご主人と週末に書店へ出向き、大好きなキャラクターの英語絵本のシリーズ(彼女いわく幼稚園児向け?)を購入してみたそうです。余談になりますが、ご主人も、「なぜプーさんは子どもに永遠不滅の人気があるかを分析する」?との試みに、プーさんの英語絵本もまた、購入されたとかです。いずれにしても、皆さんのコメントに励まされて、色々背中を押して頂けたと思います。有難うございます。また後日随時様子も日記に記して行きたく思っています。■自分自身の英語学習歴■レノールさんに頂いたコメントの中にもありましたが、「英文法」を、日本人は中学校から急激な量で学んで来ている点について、思うところを書きたいと思います。現在の中学校では、簡単な英文を学び始めると共に、英文法もまた同時並行して学んでいきます。このことが、多くの人に苦手意識を作ってしまっているという点が、様々な視点・立場からずっと指摘され続けてて来ています。私も中学英文法が大嫌いだった人間の一人で、そのことが実感として今でも残っています。小学生時代に英会話教室に通っていたのですが、「ビンゴゲーム」を「リンゴゲーム?なんじゃそりゃ?」なんていう程度の感覚で通っていました。細かいことは忘れているのですが、とにかく毎回教室に通うのが楽しくて楽しくてしょうがなかったことだけは、はっきりと覚えています。でも、学校で学ぶ英文法は大嫌いでした。私が勤めた英語教室でも、そういう中学生の生徒さんが少なからずいました。「英語大好き、すごく楽しい。でも文法、全然分かんないよ。どうしたら良いの?」っていう声を聞く事が度々ありました。結局受験や定期テストのために、文法をやらざるを得ず、毎回時間に追われながら一緒に取り組んでいきました。よく言われていることですが、やはり英文法より前に、ある程度のなんらかの基礎的な土台の会話表現に力を注ぐのが先決なのではという気がします。中学になって、急に英文法解説ばかりでは、嫌になるのも自然なことかもしれないと思います。■英語教室回想(5)中学生クラス■中学生から英語教室に通い始める生徒さんは、一言、とても忙しそうでした。中学校に入学して、小学校とはがらりと環境が変化し、各教科もさらに専門的になり、学校行事などのほかに、部活動も入り、さらに忙しさが増す中、未踏の英語に入っていくという形で・・・。小学校やそれ以前に英語をなんらかの形でかじっている場合は、アルファベットなどもある程度馴染んでいるので、同時に始まる文法学習の方へまるまる力を注げて、多少の余裕を持っていけるのだけれど、そうでなく、全く初めて英語を始める生徒さんの場合、アルファベットを覚えて書けるようになること、それだけでも、本当に大変なことです。さらに、挨拶表現、曜日などの発音・意味・スペル・・・そして文法も上から下から右から左から否応なく入ってきて、やらざるを得ず、その内混乱してきて、もうどうして良いものか分からない、と消化不良になってしまって・・・。大抵そうやって何だか嫌いになってきてしまう・・・そういう形で嫌いな意識が植え付けられてしまう場合がありました。もちろん、何かしらかじって中学校の英語がスタートしても、やはりその大変さに変わらない部分はあると思います。最終的には、やはり受験英語という大波に巻き込まれていく、という感じで、文法・長文読解といった分野にどっぷり入って行かざるを得ないのが大変なところでした。それでも、他方では、英語教室に来るのも、何かしらを求めて、やっぱり英語は好きだと言う場合も少なくないようでした。暗唱・スピーチを頑張りたい、ハロウィンをやりたい、英文で手紙を外国に出してみたい、外国人と交流したいといった希望も併せ持っていて、英文法を同時に学習するのとお楽しみを求める姿に、奇妙なアンバランスさを感じることもありました。それは、やっぱり、英語のコミュニケーション手段としての楽しい側面を、やはり何かしら感じ取って、惹かれているのだと思います。そういう気持ちを大切に持っていて欲しいし、本当のところの究極の語学習得の目的は、やっぱりそこなんですよね。