長尾盛之助先生の清水市での公開実験
昭和33年10月12日
第9回全国総合医学会
静岡県清水市の清水厚生病院長渡会浩博士から、催眠術の公開実験について、私に対し次のような要請があった。
10月12日午前10時から午後10時まで、清水市で第9回全国総合医学会が開催されるから、当日特別講演として「催眠術に関する公演と実験」とをしてほしい、と。
そこで早速出演承諾の返事を差し上げておいたところ、会日の数日前同博士から「催眠術の実験が当日の人気の中心、呼びものの一つである」という意味の、うれしい手紙が来た。
私は、ちょうどその月の末ごろ西下する用事があったので、それを12日に繰り上げ、途中で清水市へ立ち寄って実験を行うことしそのことを同博士にお知らせしておいて、予定の通り同日12時11分に清水駅についてところ、数ヶ月前に、渡会博士の紹介で上京し、私の宅で「てんかん」を全治させた人々4人が、渡会博士指示によって、私を清水駅に出迎えてくれた。この人々の案内で医学会の会場に着いた。入り口まで出迎えを受けた同博士のほか数人の先生方と挨拶する暇もなく、早速案内されたのは会場でなく他の部屋だった。そこには「ラジオ静岡放送録音室」と書いたポスターのようなものが掲げてあった。渡会博士から、
「医学会の研究発表は、予定通り10時から進められておりますが、あなたが実験を行われる前に、30分間の予定で座談会を開いてその録音を明日ラジオ静岡から放送されることになっておりますから・・・・・・・」
と報告があり、全く予期しないことだった。放送局の係員の方にもあった。録音の準備は一切できていて、私がここに到着するのを待っておられたのだった。
この放送は、「ラジオ静岡テレビ開局記念特別番組」であるということも聞いた。座談をする人々は
司会者 美と長生きの会会長 国持 史郎先生
名古屋大学教授医博 高木健太郎先生
医博 代田 稔先生
清水厚生病院長医博 渡会 浩先生
東京学芸大学の 私(長尾)
の5名で、直ちに座談が始まり、司会者その他の先生方から催眠術に関し次々を質問を受け、私はできるだけ簡単に明白に回答し、かつ、私としての意見を述べた。
この座談会は予定の透り0分で終わり、私はすぐに会場に案内された。会場の前方はだいたいお医者さん、半ばごろから広報は一般の入場者で超満員の盛況だった。
私は、はじめ、催眠術の話と実験とを4,50分間ぐらいで終るつもりで、妻を駅の待合室に待たせておいて、次の西下の列車に間に合うように駅に帰ってくる約束をしておいたが、会場にきてみて、主催者の話では私の放送録音も合わせて2時間を予定してあった由で、私は駅に待っている妻に連絡しその旨をつたえてから、私の出演順を待っていた。
一般医師の方の研究報告は一人10分間限りで、10時から始まって相当進んでいるらしかった。やがて、司会者から紹介が済んで私が登壇した。(会場のここかしこで盛んに写真を撮影するのが目に付いた。)
催眠術に関する学説の変遷などについて約20分間ほど話をしてから、次に実験を行うことになった。主催者の方で観衆の中から被験者(催眠術をかけられる人)を男女6名選出してもらった。被験者に出てもらう場合、いつもながらなかなか、おいそれ、と簡単に出てもらえないものだ。中でもおもしろいと思ったのは、被験者に選ばれる婦人(女医)の方が、
「わたしは、実験を見せていただきにきたのです。私が見られるのは困ります。それではここに来た目的が逆になるのです・・・・・・」
と最初は拒んでおられたが、係員の懇請でついに納得して出場することになつた。
立会人(検査を立証するための人)として二人の医師にも登場してもらった。被験者を観客席へ向かって一列にならべた。そして私は、この登場した被験者の目を見たところ、その中に催眠術にかからない11,2歳の男児がいることを発見した。
「この6人の登場者のうち一人だけは、催眠術にかかりにくい方が折られますが、ともかくも、その方も一緒にかけてみましょう」
と観客に告げておいてから、
「では始めます。私は被験者とはこのように数メートル離れていて、ただこのマイクロホンで話をするだけで、被験者には決して手を触れません」
「私の行う催眠術は集団に対して一緒に瞬間にかけられるのですから、私はこれを集団瞬間催眠法と称しており、一秒の何分の一、あるいは何百分の一の速さでかけます、私独特の催眠法です」
「かけられる方の中には、胸をドキドキさせている人がありましょうから、気分を落ち着けるために、深呼吸を二つしていただきます。これは催眠術ではありません、ただ気持ちを落ちつかせるためです。私が号令をかけますから二回やってください」
「よろしいですか、息を吸って・・・・・・・吐いて、もう一回・・・・・・吸って・・・・・・・吐いて・・・・・・・はいこれでよろしい」
「では催眠術をかけますよ、みなさん」(被験者に対して)私のほうへ向いて私を見てください、このように片っ方の手のひらを、ご自分の顔の額にあててください、私があいずをするとかかりますよ・・・・・・・」
「はいッ」と合図としてから、
「もう手が離れません・・・・・・・ためしてごらんなさい」
被験者は、手を平井から離そうとするがどうしても離れない。しかし、先ほどこのうちの一人の男児は催眠術にかかりにくいから・・・・・と宣言しておいた子は手が離れて、やはり暗示に感応しない。
立会人が他の5人を一人ひとり検査して、手を離そうとしたが離れない。そこで私は被験者に対し、
「合図をすると手がなれますよ・・・・・・・はいッ」
全員、一緒に手が離れた。
「催眠術にかかりにくいその男の子を退場させてあげてください、なぜかかりにくいかはこの席上では申し上げかねます」
といって、その子にはまことに気の毒だったが、退場してもらうより他にいたし方がなかった。
「次は腰の抜ける実験です。大人の方は椅子にかけてください、小さい女の子は椅子が高すぎてかけにくいでしょうから、床に座ってください」
「よろしいですか・・・・・・合図をしますよ・・・・・はいッ・・・・・もう立てません、みなさん立ってみてごらんなさい。小さいお子さんも立ってみてください」
被験者は立ち上がろうともがくが立てない。満場大笑いだった。立会人が検査をしたが実際に立てないのである。
「立会人の方、その小さい女の子を抱き上げてみてください」
と言った。立会人がその子供を抱き上げようと力んだ。普通ならば軽く持ち上げることができるのであるが、立会人もこの場合催眠術にかかったらしく、どうしても上げられない。
「それでは合図をすると立てますよ・・・・・・・はいッ」と合図と一緒に全員立ち上がった。
「次は・・・・・・・指で輪を作る実験をしましょう。みなさん私の方を見てください。このように、一方の手の親指と人差し指とで輪を作ってください、そして他の方の手の親指と人差し指を片方の輪に入れて、鎖のように輪を作るのです。lつまり指で作った二つの輪をくさりのようにします。これが、また合図をすると離れなくなります」
私は観客席に向かって注意した。
「観客の方が、マネをすると、手が・・・・・指が解けなくなりますから、まねをしないでくださいよ」
といっておいて、さらに被験者に向かい、
「では合図をしますよ・・・・・・・はいッ・・・・・・・もうとれません、みなさんためしてごらんなさい」
このような簡単なことでも、どうしても指の輪が解けない。立会人が引っ張ってみたが決してとれない。
(これは余事ですが、静岡県浜松市の、ある病院の女医さんが観衆の中ほどに二人並んでおられ、この実験を見て「こんな、なんでもないことが・・・・・」と言って二人ともマネをした。とたんに両手の指の輪がとれなくなって、「あら、あなたもとれないですか、弱りましたねえ・・・・・・・よわったわ」と驚いてしまわれた由、このことは後述の清水市のT病院で治療の項に詳しく記載しておく)
「次が、背中がくっつく実験をします。背中と背中とを合わせて立ってください」
と言って、合図をした。すると背中が互いにくっついて離れない。もがくと、まるで背中にノミがいるような格好になるので満場失笑。
続いて全身硬直、冷水沸騰、空中旅行その他の実験を行い約50分を費やし、終って約10分間、質疑応答を行った。そして、
「次の汽車に乗る都合がありますから・・・・・・・」
と暇を告げて、清水駅に駆けつけた。
前述の録音は、翌13日午後1時にテレビ開局記念特別番組としてラジオ静岡から放送され、大きな反響を呼んだ由、主催者その他一般聴取者からの報告があった。
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