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カテゴリ:生活
毎年感動のゴールを迎える24時間テレビのマラソンだが、あれはマラソンではなくウォーキングとあらてめるべきではないか? 毎年同じ距離なのかは知らないが、今年は70キロだそうだ。70キロを普通の速さ(不動産の徒歩換算の分速80メートル)なら14時間と35分で到達する距離だ。無理して最初に走るから、足を痛めて途中からは、歩くより遅くなるのだ。最初から無理せずに、歩いていたら、楽々時間内に到着だ。それでは、テレビ的に面白くないんだろう。 無理して感動を作り上げている感じがしてならない。 それに、あの24時間テレビの感動の安売り的発想は何とかならないのだろうか? 無理やり感動を作り上げようとするあまり、見世物的パフォーマンスが繰り広げられているとしか私には思えない。健常者の思い上がりを見ているようで、裏にある押し付け的な感動に、はらだたしさまで感じるのは私だけでしょうか? 24時間テレビの真の目的は、視聴率にあるように思えてならない。だから、視聴者にこびた企画ばかりで、本当にいろんなことに挑戦している障害者の身になっていないし理解していない。 人の死をも感動という二文字の為に道具にしている。 何もかもが、感動イコール視聴率なのだ。 そのためには、何だって許されるというマスコミの驕りだ 一億円を超える寄付集めの為のイベントなのだろうか? それぐらいなら、政治家にパーティーをちょっと開いてもらえればすぐに集まる。 これだけの寄付が集まるのに、給食費、保育園料、年金保険料を払えるのに払わない人が大勢いることがとても異常に感じる。日本人のモラルの低下が著しい。24時間テレビでこれらの問題にも触れてもらいたいものだ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
August 23, 2007 04:49:12 PM
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