写しと偽物(贋作)
骨董の世界には必ずといっていいほど存在する偽物。偽者の中には写しといって修行のために同じものを作った作品がある。普通で考えれば、それが世の中に出回ることじたいおかしなことだと思うのですが。実際は売り買いの対象になってしまうのです。本物は高くて買えないので写しを買う人も少なくありません。見る人が見ればわかるのですが、私のような素人が見たんでは本物と偽物の違いがわかりません。それだけ本物に近い写しがある。実際古いものだと100年以上前に製作されたものもある。同じ年代に製作された写しならよけいわからないし、この年代まで残っているということはそれだけ写しでもすばらしいということだ。偽物と写しの違いは製作意図にある。偽物は初めから金儲けのために製作されている。よく中国やエジプトなと歴史のある国に行くととても年代物の骨董が売りに出されている。いかにも古そうな演出も施してありぱっと見た目には高そうなのだが、結局のところはほとんどが偽物だ。周りの雰囲気に呑まれつい買ってしまう。高級品が意外な安値の時は用心しないといけない。人の心も同じだと思う。最初は親や周辺の大人たちの心を写して成長するが、やがて本当の自分の心を持ち本物になるのだ。その写しの段階で醜い大人の姿を見せられたらどうだろう。誰が見たっていじめが原因なのに二転三転する学校長の姿を見てどのように心を写してゆくのか。命の尊さを誰が教えるのだ。命より保身が大事なのか?責任論優先できちんとした原因を把握しこの先同じことが起きないようにする責任は誰が負うのか?責任逃ればかりしているから同じことが繰り返されるのだ。