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何故、産後インストラクターを目指すようになったのか
第2回目です。 さあ、ミッションビジョンより先にプログラムに惚れ込んだ 私の心に どんな変化があったのでしょう・・ っと その前に マドレボニータ そして吉岡マコ先生との 出会いについてお話しします。 ひっぱってすみません・・ ☆☆☆☆☆☆ 私の子供の頃の遊びって、外遊びがメインで 山を探検する事や秘密基地を作ったりすることでした。 (楽しかったなぁぁぁ) そうやって体を動かしていたせいか 小学校4年から中学3年間はソフトボール 高校では卓球 そして30歳から6人制バレーボールにのめりこみました。 卓球は結婚してからも地区の大会に召集され、 妊娠8ケ月というお腹で試合に臨んだこともあるんですよぉ。 “立ってるだけでいいんだから” とおじさんたち 負けず嫌いの私の耳には届かないわよ、おじさんたち~ ・・・・勝たせてもらいました。 相手が私のお腹に驚いてしまって力を発揮できなかったようです。 そんな運動好きな私でしたが 47歳の時にバレーボールのチームが解散となり それからは運動を離れて お花・カルトナージュ・ペーパークラフト系・絵など に挑戦し始めました。 しかし、根っからの運動大好き人間 “う~ 何か運動したい~” “そうだ、健康のためにピラティスをやろう” 49歳になった夏でした。 ここから、私を刺激する先生に出会い続け 吉岡マコ氏のもとへたどりつくのです。 ピラティスヨガ教室の先生は なんと70歳 (ピラティス+ヨガだったんですよ) ここで私は“インストラクターになりたい!” と決心 次に ピラティス養成講座の先生に出会い 姿勢が大事 ピラティスだけでは健康な体作りはできない と学び この硬い体を まずは柔軟にしなくてはいけない そうだ ストレッチだ! そして、そして、 ストレッチの 桜井静香先生のHPに巡りあったのです。 最近知ったのですが、バランスボールを紹介してくださったのが 桜井静香先生だったのですね。 さあ、いよいよマドレボニータ そして吉岡マコ先生に出会います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.12.20 14:57:12
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