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カテゴリ:日記
否が応でも、注目されてしまうオリンピック聖火だけど こんな状態で意味があるのかな?と 正直思ってしまう。 以前、前のところのブログにも書いたような気はするけど 今の私が形成される過程で、オリンピック聖火は欠かせない存在なんだ
それこそ、歳がばれちまうが、東京オリンピックの聖火が 当時住んでいた私の町も通ることになった。 まだ、幼稚園にも行ってない頃で、最初はなんでこんなに 人がいるんだろうーと 不思議でならなくて、ただただそこで立って待ってるだけというのは 子どもにとってはすごく苦痛だったんだけど しばらくして、ビルとビルとの間を駆け抜けた聖火の赤を 私が今でも鮮明に覚えてる おそらく、あの瞬間は回りの他のものは すべてモノクロに見えるくらい強烈な赤だった もちろん、今のこの刺激の多い世の中で 実際にはあの聖火の赤よりも、もっと赤いものは たくさんあるとは思うけれど 私にとっては、あの赤こそが、まさに真紅の赤なのだ その時はただただ、その赤が強烈に焼きついただけだったのだけど その時、あの赤によって感動することの 大切さを身を持って 知ったのだと思う 人それぞれ、感動するのは絵だったり、 本だったり、音楽だったりするのだけど 私は、このときの体験があるからこそ、 多感な若い子にいいライヴを見て欲しいと思ってる。 きっと、私にとっての聖火のような感動があると思う だからこそ、前より言い続けている、 SOLD OUTになるようなライヴに あちこち出没するリピーター には苦言を呈しているのだ (SOLDOUTにならないようなライヴなら、アーティストを 育てる意味では、リピーターもいいとは思うのだけどー)
今回の聖火で感動をした人がいるのだろうか? 欽ちゃんは「平和的に終わりたかった」 と言うけれど、その気持ちはわかるけど あの警備体制があること自体が平和的ではないのだ 平和を訴えるのはわかるけど、 その前にチベットの状況をよく知った上で発言してほしい
次の聖火がいつ日本にくるかわからないけど、 ホントに平和は喜びに沸いた 聖火リレーであってほしいものだ
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Last updated
2008.04.27 10:40:04
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