カテゴリ:カテゴリ未分類
ダン・ブラウン著 越前 敏弥訳 『ダ・ヴィンチ・コード 上』 2004 (株)角川書店 p.30
ずっと言ってきていることだが、歴史は後から解釈されて作られる。 したがって解釈する主観が変われば歴史観も必然的に変わってくる。 日本は世界で唯一原子爆弾の被爆国であるが、それもアメリカの理論で言えば、戦争を中止させた特効薬として扱われている。 韓国や中国と日本との歴史的見解の違いもずっと問題視されている。 ただ、これらはほとんど解釈の域を出ることはないが、ここではむしろ、勝者によって歴史が作られるという意味で使われている。 実際『ダ・ヴィンチ・コード』の中では、イエス・キリストを「神の子」であると「決定」し、カトリック教会はその絶対的な権力を傘に、その後の歴史を作り上げ、その歴史の上にさらなる安定した権力を築き上げてきたとされている。 これがほんとかどうかはぼくには知るすべはないけれど、かといって、嘘だと決めるだけの決定的な手がかりを得ることも不可能だ。 「歴史はつねに勝者によって記されるということだ。ふたつの文化が衝突して、一方が敗れ去ると、勝った側は歴史書を書き著す。自らの大儀を強調し、征服した相手を貶める内容のものを。」 これが繰り返されていくうちに、勝者にとって都合のいいように歴史が作りかえられていく。 敗者はそれを表立って批判することはできない。 シオン修道会のように秘密裏に継承されていくのみである。 しかし、時代は移り変わっていく。 科学の進歩や、異文化の交流などにより、社会の構造も少しずつ変わっていく。 カトリック教会によって卑しめられ、弾圧を受け続けてきた女性も、近年ずいぶんとその社会的地位を向上し、それだけでもカトリックの社会的位置付けがだいぶ変わってきていると思われる。 いずれは隠されてきた歴史的事実とか、違う解釈とかが表に出てくるときは来るだろう。 自分の価値観をおびやかすなにかに衝突したときに、普通であれば人は保守的になる。 ただ、現代社会では、あまりにもたくさんの情報が錯綜し、自分の価値観の拠所となるなにかを見つけることのほうが難しい。 そんなときに歴史すら、作られたものかもしれないとなるとアイデンティティすら崩されかねない。 そんな現代だからこそ、じっくりと自分と向かい合って内省し、いろんな情報や歴史や社会など、ぼくらの周りを取り囲んでいるものに対して、順応していけるような自分なりの価値観をもてるようにしていきたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|
|