怒涛の1週間
久しぶりの日記更新です。先週土曜、日曜と和歌山に私の両親とその友達、私たち家族と和歌山に旅行に行きました。旅行はとても楽しく終わり、家に着き、ちょっと一息ついたところ、ボンが甲高く、でも弱弱しく泣き出しました。「どうしたのかなぁ?」と抱き上げたところ、ボンの体はものすごい熱さに!「父ちゃん!ボンがすごい熱いの」と旦那を呼びながら体温計を確認”38.5℃”日曜の為、知り合いの消防署の人に連絡、休日診療をしている病院にボンを連れて行きました。「突発ですね」との診断にちょっと安心。取りあえずは静養をと家に帰りました。1,2時間位過ぎ、妹から電話が入った。「お姉ちゃん聞いた?」「何を?」「お父さんとお母さんが帰ったら、お婆ちゃんが倒れてて、意識不明らしい。すぐに帰ってきて」私は旅行に言った用意をそのまま抱え、急いで実家に向かった。途中、電話が入り、病院に来るように言われた。病院に着き、受付に「救急で運ばれた○○ですが」というと、受付の人が神妙な顔つきになり「身内の方ですか?」と言った。それで”もう死ぬのは確実だ”と言うことは明らかだった。救急処置室に入り、心臓マッサージをされている祖母を目にした。泣き崩れる伯母。必死に手をさする父親。涙をためたまま立ち尽くす妹。私もまだ少しぬくもりのある足をさすった。そして数分の時が過ぎ、「もういいよな」と父が伯母の肩に手を乗せた。「先生ありがとうございました。」そういい、伯母は祖母の顔に手を伸ばした。「ごめんね」”ピー”と心電図の音だけがした。私達は処置室をあとにした。原因は急性心不全。私達は家に帰り、晩御飯を作る気力も無く、適当なお惣菜を買ってきてもらった。眠ることも出来ず、妹と二人お酒を飲んだ。11時ごろになり、冷たくなった祖母が帰ってきた。疲れている父と母に食事を取ってもらい、妹と私と祖母のかたわらに座った。何を話したのかは忘れた。ただ顔がとても冷たかった。次の日の朝、ボンの熱は39℃を超えた。病院に行き、もう一度解熱剤をもらった。通夜が始まり、旦那には焼香が終わった後すぐにボンを連れて式場を出てもらった。葬式も終わり、ボンも少し熱が下がった。そして赤い発心が出来た。その発心も2日ほどで治った。ほっとして、色々と考えた。人はいつ死ぬか分からない。だから、今のうちに両親にも出来ることをいっぱいしておかないといけない。そう思った。