長編時代小説コーナ
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龍5777
基本的には時代小説を書いておりますが、時には思いつくままに政治、経済問題等を書く時があります。
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「士道惨なり」(11) ようやく二人は布団のなかで身体を離した。 「そちは飯盛女ではあるまい、稼業はなんじゃ」 弦次郎が乳房に手を這わせながら訊いた。 「江戸から流れ着き、この旅籠で居酒屋をやっておりますのさ」 「その女将がなんで拙者の刀を盗む約束をいたした」 「済みません、借金がかさみ穴埋めの為に引き受けました」 「もう、礼金は貰えたか?」 「手付金のみは頂きました」 お袖のか細い声で声を聞き、弦次郎は無言で手で去れと合図した。 「旦那、有難う」 お袖が素早く布団から滑り出し、灯の届かぬ場所で身繕 いをしている。衣装の擦れあう音を聞きながら弦次郎は大の字となった。 そっと襖の閉まる音がし、お袖の足音が遠ざかっていった。 完全に眼が冴えた弦次郎は、お袖から聞いた事を思いだしている。 藩士の誰かが村正を奪わんと何かを画策している、それは確かと思われる。 試し斬りの場に忍び者が現れたのも偶然ではない。誰かが手引きをしたの だ。お袖の言葉が蘇っていた。 我が藩中で頬がそげ眼の鋭い藩士は、稲葉十右衛門をおいては他には 居なかった。 「嘘じゃ」 彼とは幼い時期から竹馬の友として付き合ってきた。その彼が 公儀の狗とは考えられない、悶々として眠れぬ一夜を過ごす弦次郎であった。 (その一) その時刻、この旅籠町に近い古寺に稲葉十右衛門が野宿をしていた。 彼は途中で弦次郎を襲い、村正を奪おうと機会を窺ったが油断のない 弦次郎の気迫に押され諦めた。こうなれば今井田宿で奪うまでじゃ。 顔に群がる薮蚊を手で払い、覚悟を新たにしていた。 稲葉家は黒岩藩に配された、里忍びの家であった。十右衛門は幼少の頃 より、父に命じられ弦次郎に近づき剣の腕で彼と竹馬の友となった。 弦次郎は殿の覚えが目出度く寵愛され、十右衛門の出番は失われたが、 そこに降って湧いたような機会が訪れた。 それが殿の忠義が入手した妖刀の村正であった。十右衛門は繋ぎの忍びに それを洩らし、証拠となる村正の略奪を計ったが、弦次郎により阻止された。 「明日こそ勝負じゃ」 稲葉十右衛門は目前に弦次郎を想定し、愛刀を抜き放った。鋭く刃風が 闇を斬り裂き、光芒の先に弦次郎の朱に染まる姿が映った。 そげた頬に残忍な笑みを刻み、愛刀を胸に抱え稲葉十右衛門は柱に身を もたせた。これに成功すれば晴れて江戸に呼びもどされる。 当然、黒岩藩は取り潰されるが、今の彼にはなんの感慨も湧かなかった。 亡き父から呪文のように毎日、里忍びの心得を聞かされ育った十右衛門は、 忠実な藩士を装って成長したが、弦次郎に対する、嫉妬心が彼の心を滾らせる 時があった。 それは剣の腕であった。十右衛門も藩中で知られる遣い手と人々に噂されて いたが、弦次郎と立会い正当な剣では勝てぬと悟っていた。 それが悔しく内心では憎悪の炎を燃やしてきたのだ。 忍び者の業なれば互角以上に闘う自信はあるが、それを遣うことは自ら、 自分の正体を暴露することであった。それ故に弦次郎とは一度も手合うことが なかったのだ。今の彼は筆頭家老の望月大膳を味方としたことで満足してい た。万一、村正の略奪が失敗しても弦次郎のみは、必ずこの手で始末する。 そのうえで何食わぬ顔で藩にもどり、大目付として藩の中枢に身を置き、 大膳をだまし藩の取り潰しの口実と証拠を捏造してみせる。 満々たる野心が身内に漲っている、彼は夜空を仰ぎ見た、そろそろ夜が明け 染める頃と知った。朝霧が沸き起こってきた。 十右衛門は古寺を離れ、熊笹をかきわけ近くの老松に足を運んだ。そこに 馬を繋いでおいたのだ。 士道惨なり(1)へ
士道惨なり(最終回) Dec 28, 2010 コメント(7)
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