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Apr 30, 2011
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カテゴリ:伊庭求馬無情剣

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      「騒乱江戸湊(14)

「薩摩藩は未だに先代の重豪(しげひで)さまが実権を握っておられます」

 求馬が薩摩の内情を語った。

「重豪さまと申せば十一代将軍であられた家斉(いえなり)さまの御台所の

実父とし、三百諸侯の第一人者と言われた人物です」

「それがしも承知にござる。一橋治済(はるさだ)さまと中野清茂さまと天下

の三老翁と言われた人物ですな」

 求馬が言う通り治済は、十一代将軍から十四代将軍まで自身の子を将軍に

就けた御三卿の一橋家の当主である。

 一方の中野清茂は家済の愛妾、お美代の方の養父として幕閣に絶大な影響

力をもった人物である。

「嘉納殿、薩摩の現藩主斉興(なりおき)殿は実父の重豪さまとは不仲と聞き

及びます」  求馬が語り終え酒で咽喉を潤した。

「阿部正弘さまも同様なことを申された。流石は伊庭殿じゃ」

 主水が可笑しそうに顔をほころばした。

「それがしの感じですが、薩摩藩は財政再建を図っておりますな」

 その求馬の言葉に主水が興味を示した。

「それで何か分かり申したか?」

「その責任者は調所(ずしよ)笑左衛門と申す人物」

「若い頃は茶坊主であった由、今は勝手方重役に登用されたと聞いております」

 主水も薩摩藩の内情は承知しているようだ。

「なかなかの遣り手と聞きました。特に中国との交易では悪辣な手を使った

男として評判ですな」

 求馬が醒めた声で告げた。

「その件は承知しております密貿易です。幕閣も黙認している件にござる」

 主水が顔をしかめている。求馬の言うとおり薩摩藩は膨大な財政赤字で

もだえていた、その原因は先代藩主の重豪の奢侈から始まったのだ。

 彼は西洋の文物に興味を示し、気に入った物を片っ端から購入した。

 そうしたことが原因で藩債五百万両と言われる、巨大な財政赤字に

膨れあがったのだ。

 重豪は寵愛する調所笑左衛門を登用し、藩の財政再建を図った。

 笑左衛門は心血を注ぎ、血のにじむ思いで財政再建に邁進した。

 彼は中国交易に目をつけた、薩摩藩は幕府から年間いくばくかの中国交易

を黙認されていた。それに加え三万両余りの密貿易を行っていたのだ。

 それは将軍家斉への重豪の影響から可能となったことであった。

 笑左衛門はそれを利用しようと考え、公許額を年額にして三万両に引き

上げるよう、幕府に願い出るように重豪に進言した。

 重豪はそれを受け、前将軍の家斉に願い出て許された。

 それに輪をかけ調所笑左衛門は年に、三十万両もの密貿易に手を染めた

のだ。それは公然の秘密として幕閣も承認した、いわば眼をそむけたのだ。

 こうした悪辣な建て直し策と地道な再建策が効をそうし、薩摩藩の財政

再建は軌道にのってきたのだ。

 だが重豪の知らぬ出来事があった。藩の実権を未だに引き渡さぬ父親に、

倅の現藩主斉興が不満を募らせていることであった。

 このことが後に重大な事件に発展するとは夢にも思わなかったのだ。

 主水と求馬は薩摩藩の内情を肴に、二刻ほど再会の酒を酌み交わした。

 四つ(午後十時)の拍子木の音か聞こえてきた。

「そろそろお暇つかまつる」

「伊庭殿、今宵は遅い。屋敷に泊まってゆかれよ」

「暫くは日本橋に逗留いたします。何かございましたら声をおかけ下され」

 覚めた声をのこし嘉納邸を辞して行った。

 日本橋とは言うまでもなく小唄の師匠、お蘭の家のことである。そこに居候

を決め込むことを暗に告げたのだ。


騒乱江戸湊(1)へ






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Last updated  Apr 30, 2011 11:46:17 AM
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