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カテゴリ:暗闘
「坂の上の雲」 NHKの日曜日の「二〇三高地~その山頂を全力で奪取せよ」を観て感じ たことがあります。これは司馬遼太郎原作の坂の上の雲のドラマであります。 旅順攻略を命じられた第三軍の軍司令官、乃木希典大将は聖将であった のか、それとも愚将であったのか、見終って考え込んでしまいました。 司馬遼太郎は愚将と考え、彼をこの小説に描いたのではないかと疑問を もちました。乃木は西南戦争の折りに軍旗を西郷軍に奪われるという、軍人と してあってはならない恥辱を被ります。 そのことが生涯、乃木を苦しめ、彼を見る目が厳しくなったのではないかと 思います。彼は長州の吉田松陰の縁戚でした。そうした意味では自分に厳しく 他人に優しい気象をもった人物です。 彼は日清戦争で旅順要塞を一日で陥とした前例をもつ軍人です。 その後、ロシヤが進出し近代的な軍事要塞に作り直しました。ベトンで固め、 塹壕を巡らせ、毎分、六百発発射できるマキシム機関銃を各所に配置し、 地雷まで埋め込んだ近代要塞に変貌していたのです。 そうした変化を満州総司令部も、日本海軍も誰も知らなかったのです。 その攻略を命じられた人物が乃木軍司令官でした。当時の軍司令官は軍 の象徴であり、攻略の作戦一般は参謀長が執ることになっておりました。 第三軍の参謀長は砲兵科出身で、要塞攻略に適した人物として参謀長と なったのです。名前は伊地知幸介、薩摩出身の軍人です。 この参謀長が第三軍の実質の指揮者であったのです。砲兵科出身でありな がら、大砲を重視せず、要塞の堅牢さも調査せずに無謀な正面攻撃を命じた 結果、六万名もの将兵の命が、この作戦で散ったのです。 日本がロシヤと戦って勝利するには、ロシヤ海軍の撃滅以外はない情況で ロシヤの太平洋艦隊二十万トンは、旅順港に潜みバルチック艦隊を待って いました。その艦数は48隻、それにウラジオストックにも艦隊をもって いたのです。 その為に日本海軍は二〇三高地の攻略案を進言しますが、陸軍海軍の 確執で、伊地知参謀長は要塞の正面攻撃に固執し、肉弾攻撃に専念します。 そうした激戦の中、乃木希典は作戦に口を挟まず、激戦地の様子を巡視し、 心を痛めておりました。 この戦場で二人の息子を失い、散って逝った将兵を思い、良くぞ戦死したと 心で思う乃木の心境はいかばかりか。 こうした情況に業を煮やした満州総司令部の、児玉総参謀長は軍司令官の 大岩巌に申しでて、急遽、旅順に向かいます。 児玉は着任後、彼は28センチ榴弾砲の配置転換を命じますが、伊地知 参謀長は反対します。砲台のべトンが乾かないという理由でした。 「貴公は何を言うか、無謀な作戦で陛下の赤子を無駄に死なせおって」 児玉総参謀長は再度、命令を発令し四日後に二〇三高地はあっけなく陥し ました。こうして観測場を設置し、旅順港に潜むロシヤ艦隊に猛射を浴びせ、 壊滅状態にします。 だが、この児玉総参謀長の行動は現地の軍司令官の権限を無視することで したが、乃木は旧友である児玉源太郎の進言に、文句も言わずに従います。 こうした乃木希典の行動をみると愚将とは考えられません。 軍神、聖将と呼ぶに相応しいのではないかと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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