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May 23, 2012
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カテゴリ:改訂  上杉景勝
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       「改訂  上杉景勝」 (85)


 三成は供された湯漬けを行儀良く掻き込んでいる。

「さて、家康めはどうでる」

 その頃、奥の部屋で家康は思案に耽っていた。傍らに本多正信が

主人の邪魔をせぬように、ひっそりと黙して座っていた。

「三成はおとなしくしておるか」

「横着にも湯漬けを食しております」

 家康の問いに本多正信が暗い眼で答えた。

「奴め、案外と肝が据わっておるな」

「上様、いかが成されますか」

「あの荒武者どもの説得が面倒じゃな」

 家康が肥満した体躯を脇息に身をもたせ呟いた。

「このまま生かしておきますのか」

「正信、殺せばわしの苦労が水の泡じゃ。奴が楯突くほど天下がわしの

もとに転がりこんでくる」

「これは正信、不覚にございました」

 家康の言う通り、三成が騒げば騒ぐほど加藤清正等が三成を憎み、

徳川家に加担するのだ。

「申し上げます」

 部屋の外から緊迫した声がした。

「何事じゃ」

「七将の方々が治少部殿の身柄を渡せと息巻いてお見えにございます」

「先のよめぬ者どもじゃ、書院に通しておけ」

 家康が不機嫌な声で命じた。

「拙者が応対いたしましょうか」

「正信、そちでは荷が重いは」

 家康が肥満した体躯をもちあげ書院に向かった。家康の姿を見るや、

甲冑を纏った物々しい姿の加藤清正が吠えた。

「内府殿、石田三成を匿われるとお聞きいたした」

「それがいかが致した」

「我らにお引渡し願いたい」

「それはなりませんな」

「内府に逆らった男にござるぞ、我等が奴の首を刎ねてやります」

 かわって福島正則が顔を染め大声をあげた。

「それはならぬ」

「・・・・」

 家康の一喝で荒大名等が声を失っている。

「拙者は武門の頭領と思っておる、助けを求めて参った者を殺されること

を承知で引き渡すなんぞは出来ぬ。秀頼公の補佐役の拙者が豊臣家の

重臣を、お手前方に引き渡したとしたら豊臣家に反逆したことになる」

 福島正則が蒼白となった。彼等はそこまで考えが及ばなかったのだ、

ただ、石田三成憎しから発した行動であった。

「春に喪を発せられ二か月余りじゃ、豊臣家の家臣が争いごとを起こす

なぞ持っての沙汰。この様子を見て反逆者が現れたらいかが思召す」 

 家康は内大臣としての地位と、豊臣家の大老筆頭としての執政官の

務めを迫真の態度で演じてみせたのだ。

「どうしても治少部殿を手に懸けると言われるなら、わしが相手をいたす」

 七将は凄まじい家康の威圧感と一喝で悄然として徳川屋敷を去った。

 これは考えに考えたすえの家康の行動であった。この騒ぎで世間は

家康が豊臣家の第一人者と改めて思い知るはずである。

 家康は騒ぎが治まり、三成と面会して一時的な隠退を勧めた。

「拙者に五奉行の職を辞せと申されるか」

「左様、全ての争いごとはご貴殿の存在より起こっている。これは秀頼公

にとって宜しからず」

 三成にとり隠退は覚悟していたが、家康の言葉は致命的な一言であっ

た。三成はこれをのみ、三月十日に居城の佐和山城に退くことにした。

 この時、佐竹義宣は清正等七将が途中で三成を襲撃する事を恐れ、

極秘に家臣団二千名に護衛させ、己も武装して三成の安否を気遣った。

 一方の家康も七将等の挙動に不審を感じ、二男の結城秀康の軍勢に

守らせ、膳所(ぜぜ)の高木まで三成を送らせた。

 三成は秀康の好意を感謝し、己の佩刀、五郎正宗を贈った。

 彼にはこうした律儀な一面があった。秀康はこれを石田正宗と名付け

愛蔵したという。こうして石田三成は豊臣政権の奉行の地位を失い、

ご政道にたいしての発言権をなくしたのだ。


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Last updated  May 23, 2012 11:04:25 AM
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