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カテゴリ:改訂 上杉景勝
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「改訂 上杉景勝」 (90) (会津攻め) その後の家康の反応は素早いものであった。 豊臣政権の五奉行、増田長盛と長束正家の両人を呼び出し、 二人が現れるや、上杉家討伐を伝えたのだ。 唐突の家康の言葉に両人が顔を見詰め合った。家康の言葉が 理解できなかったのだ。 「何故の上杉家討伐にござる。拙者に内府の言葉に得心が参らぬ」 一呼吸おき家康の意をくんだ増田長盛が、息巻いて反論した。 彼は大和郡山城主で三十万石を領する、豊臣政権の五奉行である。 「拙者も反対にございます」 長束正家も猛然と家康に反対した。 彼も水口五万石の小名ながらも、五奉行の独りであった。 「ほう、ご両人は会津征伐に反対を唱えられるか?」 家康が肉厚い目蓋を細め両人を眺めやった。 「最近の内府には私曲が多うござる」 珍しく増田長盛が家康の非をならした。 「異なことを申される、わしに私曲が多いと申されるか?」 家康が威圧するように肥満した体躯を乗り出した。 「左様、故太閤殿下は勝手な婚姻はならぬと遺命を残されました。それも 我等五奉行の印もなく内府は、勝手な縁組をなされておられる」 「・・・・」 不意を衝かれ家康が口を閉ざしている。 「前田家の芳春院さまの件も同様にござる。豊臣家の人質である筈の、 芳春院さまを勝手に江戸にお連れいたした。我等、五奉行をないがしろ にしておられる。内府は我等五奉行を如何ご覧になっておられる」 それは積り積もった鬱憤であった。 「私曲ごととはそのことにござったか。わしは本多正信にいかなることも ご相談いたすよう申しておりました。手違いにござる、故にわしからお詫び 申す。許されよ」 天下の実力者に下手に詫びられては、二人は言うべき言葉を失った。 「こたび会津攻めじゃが、明日にも本丸に参上いたし秀頼公に奏上いたす 積りにござる」 家康が低いが腹の底に響く声を発した。 改訂上杉景勝(1)へ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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