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カテゴリ:改訂 上杉景勝
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「改訂 上杉景勝」 (92) 会津攻略の攻め口は七道ある。南山口、白河口、信夫(しのぶ)口、 米沢口、仙道口、津川口、越後口の七道である。 家康が居並ぶ家臣を眺めまわし、口火をきった。 「兵力の分散は避けねばならぬ。津川口を外し主力は白河口といたす。 わしと秀忠がそこにあたる、仙道口は佐竹義宣、信夫口は伊達政宗に 命じ、米沢口は最上義光、越後口は前田利長と堀秀治に命ずる積りじゃ」 「仙道口がいささか危うい気がいたしますな」 謀臣の本多正信が意見具申をした。 「正信、佐竹義宣が石田三成と懇意なことは承知じゃ。手は打ってある、 諸大名等には早々に江戸に参集する準備成すようにに命じておけ」 「畏まりました」 本多正信が畏まり、眼を細め家康を仰ぎ見て問を発した。 「上様の大阪出立は何時ごろになりましょうゃ」 「明日、本丸に参上いたし、淀の方に会津征伐を奏上いたし幼君に暇乞い を行い、準備の出来しだい大阪を離れる」 「すんなりと了解が頂けますかな」 「淀の方と言うても所詮は女子じゃ。取り巻きにも口は挟ませぬ」 肥満した家康の体躯から満々たる自信が満ち溢れている。 「・・・」 正信には何も言うことはなかった。 「正信、こたびの会津攻めには豊臣譜代の大名を使うのじゃ。先鋒大将 は、豊臣親藩の福島正則じゃ。それに細川忠興、黒田長政にも先鋒を 命じておけ」 (成程な、流石は上様じゃ。豊臣大名をかみ合わせ力を削ぐ御積りじゃな) 権謀術策のなかを生きてきた、本多正信も家康の深慮遠謀には感服し た。五月三日、幼君の秀頼公に暇乞いをした家康は、諸大名に会津出兵 を命じた。 いよいよ徳川さまが合戦に行かれる。大阪城下はその話でもちきとなっ た。その噂を耳にした家康は陰湿な笑みを浮かべていた。 わしが大阪を去って会津征討に向かえば、三成め必ず挙兵するだろう。 わしはその機会を首を長くして待っておる。これで天下がわしの許に転が りこんでくる、それが家康の真の狙いであった。 改訂上杉景勝(1)へ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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