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Nov 6, 2012
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カテゴリ:改訂  上杉景勝
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       「改訂  上杉景勝」  (103)


「上様、彦右衛門にござる」

 しわがれ声とともに下座に人影が現れ平伏した。

「彦かー」

 家康が転がるようにして床の間から駆け降りた。

「お目出度う存じます」

「いよいよ天下取りの始まりじゃ」

 家康が声を低め、骨ばった肩に手を添えた。

「勿体ない」

 男はこの伏見城代の鳥居彦右衛門元忠(もとただ)であった。

 家康より三歳年上で、今川家の人質の時代からの守役であった。

「わしは会津攻めに参るが、彦、そちに一働きしてもらいたいのじゃ」

「有難いことにございます」

「彦・・・、今生では再び遭えぬぞ」

「承知にござる」

 鳥居元忠が平然とした態度で答え、家康が言葉に窮し黙した。

「この伏見城を灰塵(かいじん)に成しても構えませぬな。治部少輔の

奴に煮え湯を飲ませましょうぞ」

「おう、そちがこの城の主人じゃ、好きにいたせ」

「この城には将兵が二千名ほど居ります。どうせ城を枕に討死する身、

五百名ほどの若武者を連れ帰って下され」

「彦・・・、今の言葉はそちしか言えぬ」

 感極まった家康の肉厚い頬に涙が滴った。

 家康と彦右衛門は主従を超えた関係であった。今川家の人質の頃は、

真冬の寒気を避ける為に、肌と肌で暖をとった兄弟のような関係であった。

 苦労を分かち合った者同士の別離であった。

「上様、ひとつ所望がござる。弾薬が不足しております」

 鳥居元忠が乾いた顔で家康を見上げている。

「焔硝は置いて行こう。彦、この城には金銀が腐るほどある、それを鋳つ

ぶし弾薬にせよ」 家康が平然と驚くことを指示した。

 これは吝嗇(りんしょく)な家康にしては考えなれぬことであった。

「それでこそ天下人。天下を取れば黄金なんぞ、いくらでも手に入りますな」

 鳥居元忠が嬉しそうにしわがれた笑い声をあげた。

「わしが去ると雲霞のような大軍が押し寄せよう。時を稼いでくれえ」

「お任せ下され。上様、きっと天下人に成って下され

「彦・・・、そなた等の死を無駄にはせぬ」

 こうして家康は鳥居彦右衛門と死兵となった千五百名の将兵に見送られ、

伏見城を後にした。

 四千五百名に膨れ上がった軍勢を率い、家康は京極高次の大津城下

を経て五奉行の一人、長束正家の居城の水口を経由し、六月二十一日

に、三河の地に入った。

 会津征伐の総帥の家康は、諸大名に江戸への参集を命じていた。

 家康は東海道を進み、途中で鷹狩などを楽しみ七月二日に江戸に

到着した。江戸では家康と会津征伐に従軍する、諸大名の将兵が駐屯し、

総兵力は五万に及んでいた。

 遠国故にまだ参集の遅れている者も居るが、全兵力が集まれば六万名

ほどの大兵力になる筈である。

 家康は彼等が豊臣家恩顧の大名であることに満足を覚えていた。

(三成、早う挙兵いたせ)

 わしはこれ等の大名を引き連れ、上方に戻り、これ等の力で天下を

手中にいたす。家康は胸中で不遜な言葉を呟いていた。


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Last updated  Nov 6, 2012 11:28:06 AM
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