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Nov 7, 2012
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カテゴリ:改訂  上杉景勝
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       「改訂  上杉景勝」  (104)


 家康は従軍の諸大名の参集を待って、江戸城ニノ丸に招待した。

 豊臣恩顧の諸大名は質素な饗応を受けた後に、軍議が行われた。

 家康は上座に座り、会津征伐の基本方針を述べはじめた。

「先鋒は我家の榊原康政に申し付ける」

 その言葉に諸将たちから不満の声があがった。

「内府の仰せながら、その儀は納得が参りませぬぞ」

 福島正則が野太い声で吠え、黒田長政等の荒大名も正則に賛同した。

 城内がざわつき静寂が戻った。

「おのおの方の申し出は有難いが、こたびの合戦は我が家の戦法で行う

所存。榊原康政の先鋒は徳川家の戦法にござる、ご異存のある方々は

この場からお引き取り願って結構」

 家康の肥満した体躯から殺気に似た気配が立ちのぼり、肉太い顔が引

き締まって見える。

 一同は家康の気迫に押され、異議を口にする勇気を失った。

 それだけ家康には数々の合戦を潜り抜けた気迫があったのだ。

「それがしも方々と出陣いたすが、総大将は中納言秀忠に命じます」

「なんと・・-」

 一座がまたもや騒々しくなった。

 その静まりを待って家康の謀臣、本多正信が痩身を現し、上座から

しわがれ声を発した。

「軍議の基本方針を申し上げます。我等は白河口に攻め寄せ会津盆地

に侵入いたすが、開戦の時期は当家からお知らせいたす。方々は当家

の下知に従って頂きます。抜け駆けの功名なんぞは一切慎まれたい」

「抜け駆けはならぬと申されるか?」

 荒大名で知られた細川忠興が、癇性を露わにして本多正信を睨み据え

た。彼等は戦場にあってたえず、抜け駆けの功名手柄を争ってきたのだ。

「左様、上杉家は盤石な備えで待ち受けております。抜け駆けなんぞして

失敗したら、救援の援軍を送らねばなりませぬ。それは上杉家にとっては

もっけの幸いとなりましょう」

「方々に申し上げる。正信が申したように抜け駆けなんぞしたら、会津一帯

に戦火が拡大いたす。全国各地には日和見の諸大名が、これ幸いと各地

に兵を挙げたら、重大事にござる」

 垂れ下がった瞼の中から、家康が鋭い眼差しで一座を眺めまわした。

「各々方には出馬の準備をお願いいたす。康政、出陣は十三日といたせ」

「畏まりました」

「中納言殿は翌日、全軍を率いて出馬成されよ。わしはゆるりと参る」

「はっ」 秀忠が低頭した。

 家康は言葉どおり遅れて二十一日に江戸を発足し、二十四日に下野の

小山(おやま)の地に宿営した。

 これに諸将から疑問の声が揚がった。

「何故に小山に軍勢を留められる。今回の出陣は会津攻めにござる、なぜ、

もっと会津国境に近い要地に本陣を置かれませぬ」

 彼等の言い分はもっともなことであったが、家康には別の目算があったの

だ。それは石田三成の挙兵の報せを待つことであった。

 三成が上方で挙兵すれば、上杉なんぞと争っておる場合ではない。

 挙兵の報せを受けたら、直ちに小山から軍勢を上方に反転させねばなら

ない。それが家康の狙いであり、彼の天下取りの戦略であった。

 併し怖いものが家康にあった。それは上杉景勝と言う武将の気象である。

 軍勢を反転させる時、上杉勢の精鋭に背後を衝かれれば、考えれば考え

るほど恐ろしいことであった。

 謙信以来の武の家を標榜する上杉家とはかくも恐怖の対象でもあったの

だ。更に軍略に秀でた直江山城守の存在も大きかった。

 夜ごと家康はその恐怖と戦っていたのだ。

 若き頃から合戦に明け暮れた武将は、今やわしを置いて誰一人居ない。

 それのみが家康の自信と自負であった。


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Last updated  Nov 7, 2012 10:34:09 PM
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