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Nov 8, 2012
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カテゴリ:改訂  上杉景勝
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       「改訂  上杉景勝」  (105)

 家康は小山の地に大軍団を留め、上方の動きを注視していた

 じりじりする日々が経ち、待ちに待った報せがもたらされた。

 石田三成の挙兵の情報であった。それは昨夜の夜半に上方から駆けつ

けた忍びからの報せであった。

「とうとう動きよったか」

 家康が興奮で顔を赤らめ、肥満した体躯を踊るように跳ねあげている。

 それだけ待ちに待った出来事であったのだ。


 大阪では七月十七日、五奉行の増田長盛、長束正家、前田玄以の

三名の連署で、徳川家康を弾劾する「内府ちかいの条々」が発せられた。

 これは家康が故太閤殿下の遺命に叛いていると、罪科十三条をあげ、

諸大名に挙兵を促す決起書であった。

 同時に五大老の毛利輝元と宇喜多秀家による、家康への弾劾書も

西国、四国、九州各地の大名に発せられたのだ。

 これは石田三成が首謀者になって五奉行を動かした結果で、西軍

総帥として毛利輝元が、四万の兵力を率い大阪城に駐屯したのだ。

 政治面の補佐役は五奉行の増田長盛が努め、軍事面の補佐役は

岡山城主、宇喜多秀家が努めることになったが、三成の名前はどこに

もない。併し両軍とも石田三成が、西軍の事実上の総大将であると認

めていた。

 三成は島左近と練りあげた基本戦術にたって、畿内の東軍の諸城を

陥とし、濃尾平野に進撃して家康の大軍団と決戦する作戦であった。

 それには真っ先に大阪城の喉首を抑える、伏見城を陥さねばならない。

 七月十九日の夕刻から、攻城戦が開始された。

 双方は銃撃戦で終始したが、二十二日に西軍の主力部隊が到着した。

 総大将は宇喜多秀家で、その下に豊臣連枝の小早川秀秋が追従し、

更に毛利秀元、吉川広家、島津維新入道、鍋島勝茂、長曾我部盛親、

小西行長、毛利秀包、毛利勝信、勝永親子に安国寺恵瓊等であった。

 併し、西軍の士気は挙がらず、いたずらに銃撃戦のみで日々を過ごし

ていた。その原因は西軍総帥の毛利輝元の態度にあった。

 彼は大阪城に居座り、積極的に戦闘に参加する態度を見せなかった。

 この状況は三成にとって虚しいものであった。佐和山城十九万石の

小名の限界を知らされたのたが、彼は怯むことはなく直ちに伏見に急行し、

攻城の諸将に対し叱咤激励したのだ。

「鉄砲のみでは城は陥せん」

 これが功を奏し、八月一日に大阪城につぐ巨城である伏見城が陥落した。

 守将の鳥居彦右衛門以下千五百名は壮烈な戦死を遂げた。

 気勢のあがった西軍は伊勢を席巻し、石田三成は大垣城を攻略し東軍へ

の圧迫を強めていた。

 こうした上方の形勢は、逐一、小山の本陣にもたらされていた。

「なぜここに居座っておられます。諸大名の動揺が激しくなっております」

 心配した本多正信が枯れ木のような痩身をみせ報告に訪れた。

「わしは思案中じゃ」

 家康が暑そうに襟元をくつろげ扇子を使っている。

「上杉勢の動きにございますか?」

「そうじゃ、正信、わしの謀臣と言われた男が何を考えておる」

 家康に勘気を浴びせられ、正信は陣屋に戻り思案を重ねた」

 当然、上方の形勢は上杉家も知っておろう。上様が攻め上るか撤兵す

るか見極めておろうな。

 もし撤兵となれば上杉勢は指を銜えてみてはおるまい。さしもの正信も

背筋に冷たい感触が走り抜けた。

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Last updated  Nov 8, 2012 05:43:53 PM
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