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Nov 9, 2012
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カテゴリ:改訂  上杉景勝
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       「改訂  上杉景勝」  (106)

「内府は、誰を恐れておられる」

 陣屋の外から傍若無人な声が響いた。さしずめ荒大名の一人のようだ。

「大声をだすでないわ、佐竹殿を恐れておられるのじゃ」

 それを聞いた正信のしわがれた顔がほころんだ。

(そうであったか)と、合点する思いがした。

 この下野の東には常陸の地がある。そこを領する水戸城主が佐竹義宣

であった。五十四万五千石の大々名であった。

 しかも室町時代からの名門大名でもあり、あの戦国乱世の世を生き残っ

てきた大名でもある。

 既に内密に家康の許に加担する旨の使者が訪れていたのだ。

 併し、佐竹義宣は石田三成と格別の間柄の武将としても知られていたし、

家康の目前の敵、上杉家とも昵懇の家としても知られていたのだ。

 両家が極秘に連携しておれば、大変な事態となる。

「これじゃ」

 本多正信が膝をたたいた、漸く家康の内心がよめたのだ。

「上様、策が出来ました」

 正信の言葉に家康は肉太い頬をくずした。

「正信、佐竹の態度に不審ありと密かに噂を流せ」

「仰せのごとくに」

 本多正信の流布した噂話が諸将たちの耳に届いた。

「流石は内府殿じゃ。もし佐竹家と上杉家が同盟しておれば、腹背から

挟撃され、我等の墓所はこの小山になろう」

 諸将たちは家康の深慮遠謀に感心し、動揺がぴたりと鎮まった。

 家康は直ちに間者を佐竹領に放った。彼らの持ち帰る情報は家康の

危惧を証明するような内容であった。

 佐竹家の動きに不穏の形跡ありと、一致したものであった。

 家康が顔を曇らした、情報が正しいならば一大事である。

 上杉と佐竹の領土を合わせれば、ゆうに百七十万石をこえるものとなる。

両家の軍勢も七万名を超え、我等と同数となるだろう。そうなれば烏合の

衆の集団である我が軍は、がぜんと不利になる。

 こうした情勢下で軍勢を上方に転進させることは、余りにも無謀である。

 家康は賭けにでた、家康の使者が伊達政宗と最上義光の許に奔った。

 これは上杉家の背後を脅かす、これが目的であった。

 両名ともに信頼のおけぬ人物であるが、この際は仕方があるまい。

 さらに越後の堀秀治にも越後口への進撃を促した。

 これは軍勢を反転させる際の、上杉勢の追撃を牽制する為の策であっ

た。家康は奥州の覇者の伊達政宗の返答を待った。

 伊達政宗と最上義光が味方に馳せ参じなければ、軍勢の転進は出来

ない。そうなれば江戸に急使を派遣して増援を求めねばならない。

 家康は焦りの中に居た。

 会津若松城の一室で、景勝と山城守が会談をもっていた。

 会津には本城の若松城と三十二の支城があり、それぞれ重臣たちが

城代となって守りを固めていた。

 これまで最も重視されていた城は、白石城であった。伊達勢への

最前衛基地として、城代は猛将で聞こえた甘粕影綱を入れていた。

 さらに最上勢の備えとして米沢城があった。ここは山城守が治めていた。

 だが家康率いる大軍の出現で、白河口に面する白河城が最も重要な

拠点となった。ここには城代として芋川正親が守りを固めていたが、

六月になってから景勝から、城の改修を命じられ懸命な作業が行われ

ていたが、最近、徳川対策として続々と大軍が集結していたのだ。

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Last updated  Nov 10, 2012 05:13:17 PM
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