|
カテゴリ:改訂 上杉景勝
[上杉景勝] ブログ村キーワード
「改定 上杉景勝」 (118) 外には慶次に惚れた上杉家の槍の勇者と言われる四人の武者が待ち 受けていた。 水野藤兵衛、宇佐美弥五右衛門、韮塚理右衛門、藤田森右衛門等で あった。四人の背後には彼等の手勢が四百名ほど、篝火に照らされ待機 していた。 「夜襲とは小勢のことじゃ。同士討ちに注意いたせ」 前田慶次が声を張り上げ、大身槍をきらめかせ本陣を駈けおりていった。 その頃、春日勢は二百名ほどの夜襲隊に襲われ、守りを忘れて四方に 逃げ惑っていた。まるで烏合の衆である。 大身槍を振り回す前田慶次の前に、立派な甲冑姿の武者が大刀を片手 に姿をみせた。その武将が春日元忠であった。 「春日殿、何を血迷られたか」 前田慶次の一喝に春日元忠が安心した顔をみせ、 「これは前田殿か」 その声を耳にした前田慶次の大身槍がやにわに光芒を放ち、敵武者が 胸を貫かれ声なく草叢に転がった。 「掛かれゃ」 「おうー」 四人の勇士を先頭に槍隊が武者声をあげて敵勢に襲いかかった。 最上の夜襲隊は山頂の上杉家の本陣を目指していたが、前田勢に襲わ れ、さんざんに討ち取られ、ほうほうの呈で落ち延びていった。 翌朝、春日元忠は前夜の敗戦を雪(そそ)ぐべく、兵を長谷堂城の外堀に 進め、果敢な攻撃を試みたが、城の周囲に配置された櫓から銃弾を浴びせ られ多数の死傷者を出して敗退した。 山城守は援軍として鉄砲隊を繰り出し、春日勢を収容し睨みあいととなっ た。上杉勢は軍議をかさね、長谷堂城の前に広がる稲田の刈り取りを命じ た。それを見たら彼等は必ず出戦してくるであろう。 そこを狙って殲滅する。早速、足軽や中間らが稲の穂を刈りだした。 これに誘われるように鮭延秀綱が旗本百騎を率い打って出てきた。 上杉勢はわざと敗れ退却したが、鮭延秀綱は山城守の刈田誘いには 乗らずに勢を返した。それを追った上杉勢が大手門一町に迫るや、伏兵の 鉄砲隊の乱射を浴びせられ、退却を強いられたのだ。 この策は完全に鮭延秀綱の為に見破られ、上杉勢は翻弄されたのだ。 こうして最上勢は必死の抵抗を試み、地の利を得た小城の長谷堂城を、 抜くことが出来ずに戦線は膠着した。 もう一方の上ノ山城攻撃も、城兵の善戦の前で難戦を繰り返していた。 こうした情勢下で山城守は関ヶ原合戦の様相を思い描いている。 (石田殿、逸ってはなりませぬぞ、今に我等が上洛いたします) そうした時期に伊達政宗の援軍が最上領に到着したのだ。 奥州の梟雄、伊達政宗は上杉勢が最上領を領土とした時、上杉勢に 合戦を挑み、漁夫の利を占めようとする策略をもっての最上侵攻であった。 彼は二万名の兵を率いて福島城攻撃の為に、飯坂に陣を敷いた。 その翌日に政宗の武将の木幡四朗右衛門が、敵情視察として手勢百騎 を従い福島城に近づいてきた。 福島城は城代として猛将で聞こえた本庄繁長と、あらたに召し抱えとなっ た、蒲生家牢人の岡左内が守りを固めていた。 左内は手勢の七十名を率い城から打って出て、敵将の小幡四朗右衛門 の首を、あっという間にあげて見せたのだ。 この様子を見た政宗は軍勢を梁川(やながわ)城へと転進させたのだ。 この城代は若干二十三歳の須田長義であった。彼は防戦に努め奇策で もって伊達勢を撃退した。 改訂上杉景勝(1)へ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[改訂 上杉景勝] カテゴリの最新記事
|