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Nov 30, 2012
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カテゴリ:改訂  上杉景勝
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「改定  上杉景勝」 (119)


 こうした緊迫した情報が上杉勢の本陣にもたらされている。

 山城守は遠い関ヶ原に思いを馳せつつ、当面の敵の最上勢の攻略に

頭を痛めていたが、伊達勢の本格的な参戦と判断を下し、水原親憲と

甘粕景継に六千の大軍をさずけ、援軍として派遣したのだ。

 ここに岡左内も加わっていた。彼は黒具足に猩々緋(しようじょうひ)の

羽織を纏い、南蛮兜で黒の駿馬にまたがり、松川(福島より一里)の陣中

から、配下の兵を率い先駆けしていた。

 視線の先に伊達勢の密集した体形が見渡せる、兵らに恐怖の戦慄が

奔り抜けたが、岡左内は悠々と騎馬をまわし、伊達勢を睥睨(へいげい)

している。その伊達勢の先陣に政宗が混じって居た、彼は粗末な甲冑を

纏い上杉勢の士気を窺っていたのだ。

 彼の前に四百名くらいの小勢の上杉兵が見えた。

 政宗は使者を派遣し、「降参の者か」と、訊ねさせた。

「なんの、合戦をつかまつるなり」

 左内は凄みをおびた笑みを浮かべ、答えるや一団となって突撃した。

 これに対し伊達勢は先鋒隊を向け乱戦となった。

 川面が沸騰し、怒号と喊声、悲鳴があがり混戦となった。

 左内は手勢の半数を討ち取られ、自らも槍を折られ満身創痍となり退却を

はじめた。それを見た政宗が騎馬を乗りつけ斬りかかってきた。

 左内は具足の胴を割られたが、すかさず血塗れた大刀で片手拝みに政宗

の兜の目庇から膝頭まで斬り返し、怯む政宗の大刀を薙ぎ折って後を見ず

に川を渡って引き上げた。

 主人の危機と旗本が駆け集まり、政宗の周りを取り囲んだ。

 それ等の武者の中から政宗が無念の想いをこめて叫んだ。

「逃げるとは卑怯、とって返し勝負せよ」

 その声で対岸に騎馬を乗りあげた左内が、猛禽のような眼で見据え。

「眼のききたる剛の者は、そのような大勢の中には返さぬものよ」

 と、言い捨て味方の中に駆けこんで行った。

 後日、あの武者が伊達政宗と知らされ、嘆息して悔しがったと言う。

「さらば組内してでも首を討ち取るべきであった」

 岡左内にとって悔いののこる合戦となったのだ。

 この岡左内は奇人として知られていた。日頃から金銭を好み屋敷の座敷

には、銭が裸で積まれていると噂されれていた。

 そんな彼を人々は眉をひそめていたが、本人は一向に気にせずにいた

が、この合戦前夜に景勝に永禄銭一万貫を献じている。

 また死に臨み、日頃から同僚に貸した借用書をすべて焼き捨て、この世

を去ったといわれる。

 この松川合戦は上杉勢が優勢であった。伊達勢の首級千二百九十余を

あげたと言われている。

 伊達勢は転進して九月二十四日、須川の畔にある沼木に陣を敷いた。

 上杉勢もすかさず陣容を改め対峙した。こうして長谷堂城をめぐる戦線

は膠着状況となったが、小競り合いは連日続いていた。

 こうした時期でも、最上義光は長谷堂城への兵力増強を計っていた。

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Last updated  Nov 30, 2012 10:24:15 AM
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