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カテゴリ:暗闘
「上杉景勝を書き終えて」 漸く昨日、上杉景勝を書き終えました。わたしにとって悔いの残る 作品となり、申し訳なく思っております。 長い間、執筆活動が出来ずにご迷惑をおかけしました。 その間に、わたし自身にいろんなことがありました。それについては何も お伝いできませんが、わたしの人生にとって最も過酷なことでありました。 そうした苦しい思いが吹っ切れ、漸く復帰を遂げましたがすぐに完結した ことは、皆様にとり物足りなさがあったと推測いたします。 この作品はフィクションから始まりました。景勝の父親を叔父の謙信とし、 母は謙信の姉として書き出しました。所謂、不義密通の関係で生まれたと した訳ですが、その後はノン.フィクションで書いた積りです。 景勝のその後は徳川政権に組み込まれた、一つの大名家となります。 慶長十九年十一月二十五日、大阪冬の陣最大の鴫野口合戦に参陣し、 豊臣方の木村重成、後藤又兵衛勢と激戦を展開し、三百名の損害を出し ながらも、勝利を治めました。 その後に起こった元和元年五月の、大阪夏の陣に上杉勢は大阪の 八幡に着陣しますが、一戦も交えぬうちに大阪城が落城し豊臣家は 滅亡をしました。故に景勝の合戦は大阪冬の陣が最後となります。 何故、景勝は豊臣家を見限ったのか、それは謎ですが、大阪城を 牛耳った淀の方と、取り巻きの女衆の愚かさに嫌気がさし、天下静謐を 思うと、徳川家康を置いて他には居ないと判断したとわたしは推測して おります。 米沢に移り住んだ上杉勢は貧困な生活をよぎなくされますが、兼続の 行動は非常に面白いものがあります。 山中に秘密な鉄砲製造所を作り、五十匁、百匁の大筒を千丁も作り 上げたり、いろんな軍事施設を米沢の町に作ります。 兼続が何を思ってのことかは、わたしには理解が出来ませんが、まだ 続きを書く余裕があると思いますが、これで完結といたします。 長い間、ご愛顧下され、感謝を申し上げます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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