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函館遊郭「松風楼」の玄関軒先に駒を停めた歳三は、 「女将、部屋は空いているかい」 「あら、土方様。部屋はあいてはおりますが、先ほども官軍の兵隊が見回ってまいりましたほどに、お気を付けになられましたほうが」 「かまわんよ。官軍は明日我が方へ攻撃をしかけるそうだ。そんな前の晩に遊郭へ遊びに来るヤツがいるとは向こうも想わねえだろうサ」 脱いだブーツを脇に置いてチラッと眼をやる。 「そうだったなー、坂本クン。こいつあ、あんたに貰ったんだよなあ。オレも明日はソッチへ行くから、マアヒマだったら遊んでくれよ」 腰の愛刀和泉守兼定を抜いて床の間に懸けた土方の部屋に盆を持ったお絹がはいる。 「土方の旦那は胆(キモ)の座ったお方だねえ。こんな敵がウヨウヨしている真っ只中だってえのにサア」 「ホウ、お前(めえ)江戸の生まれかい」 「サ、お一つどうぞ。多摩の日野でござんすよ。お蚕(かいこ)さんを養って絹を紡ぐ家の娘でござんした。だから名はお絹と申します」 「そうかい、オレも多摩だよ。こいつあ、懐かしいや」 「へえ、多摩なんでございますか。だって、旦那、役者みたいな二枚目だろ、多摩の百姓には見えないよ」 「ふふっ、そいつああ、有難うよ。なあ、お絹」 「ハイ、なんでございましょう」 「お前(めえ)、旦那はいるのかい」 「そんなもの・・・昔はいたような気もしますけどねえ。私を置いて京へ上ったきり、どうしているのやら」 「お絹、ヒトツ頼みがあるんだが、聞いてやっちゃあくれねえかい」 「なんでござんすか」 「オレは明日死ぬ」 「冗談よしにしてくださいよ、旦那。やだよ、そんな話は」 「イヤ、もう潮時みてえなんだ。閻魔さまもオレみてえなヤツは面倒見切れねえとおっしゃるんだが、こんなご時世にもアキアキしたんだ。むりやり頼み込んで来たぜ」 「クックッ、面白いことをおっしゃいますこと」 「それでな、オレモこの世に生きた証(あかし)にサ、所帯ってえものを持ってみようかと思ったのよ。どうだい、今夜だけでってことで、オレと夫婦(めおと)になっちゃあくれねえだろうか」 「わたしみたいなこんなウス汚れた女とですか。いいんですか、こんな転びの飯盛り女と、本当に言いにかねえ。あんたみたいに様子のいい男の人と」 「いいと言ってくれたら、今夜一晩限りだが、オレの女房として大事(でえじ)にするぜ」 両の眼に貯めた涙が溢れてくるのをぬぐおうともせずにお絹はうなずいた。 「大事にしてくれるの。私を大事に想ってくれるんですね。嬉しい」 胸にすがりついてきたお絹の肩を抱き寄せ、土方は背中をさすってやる。 「嬉しい・・・嬉しいヨオ、旦那、有難う、有難うございます」 と、階下から上がって来る乱れた足音に、 「ヌウツ、お絹、しばらく離れておれ」 お絹を引き離して床の間の刀に手を伸ばすまもなく乱入してきた兵が、 「賊軍の将と見たぞ、ワシは官軍の杉原小十郎じゃ。陣屋まで同道せいっ」 「ああっ、あんた、あんた、早く逃げて、早く」 抜刀した官軍の下士官に向かって行ったお絹を杉原の一刀に切り裂くのを見ながら転がりざまに見た土方の眼に怒りの炎が立ちあがり、床の間の兼定を抜くや否や、 「新撰組副長 土方歳三である。幕府に仇名す貴様らを誅伐する」 八双から斬り降ろした兼定が杉原の首を切り落とし、背後の兵の首を廊下から庭へと斬り飛ばした。 悪鬼の形相となった土方の刀が残った兵の首を切り落としていく。 腰を抜かして動けなくなった最後の一兵を両断して外を見ると函館山に火が見える。 「南無三」 階下の帳場にいた女将に銭袋を渡すと、 「女将、世話になりました。お絹はこの土方の女房として懇(ねんごろ)ろに弔ってやってください。後は店の修繕に使ってください。さらば」 馬上の土方は手のひらにお絹の肩の温もりを感じている。 「オレの女房の温(ぬく)もりだ。すまねえ、お絹。オレモじきにそっちへ行くぜ。坂本クンと一緒に待っててくれ」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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