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早いもので地震発生から5日が過ぎました。 その時私は都内のJRに乗っていました。激しくガタガタと揺れながら電車が急停車し、真上に首都高、真下に日本橋川が流れる地点で立ち往生。時々起きる大きな余震に崩落の不安を感じながら、ただただじっと待つしかありませんでした。 そのうち架線が切れて事故になる心配があるからと、電車全体の電気&車内放送まで消えて、待つこと2時間半余り。その間携帯やメールで家族と連絡を取ろうと何度も連絡しましたが全然つながらず…。家族の音信が気になります。 そのうちやっと救援が駆けつけ、電車から降ろされて、トボトボと神田駅まで線路を歩いて戻りました。 さらに2時間程、駅で電車の運行再開を待ちましたが、再開する気配がないので、仕方なく一旦市ヶ谷の会社まで歩いて戻ることに。 小一時間程かけて会社に戻りましたが、街は人と車で溢れ、ビルの外壁が崩れて、危険な個所もありました。 九段下駅辺りまで来ると、パトカーや消防車があちこちに止まっていて、騒然とした雰囲気でした。これは後で知ったのですが、近くの九段会館で天井が崩れて死者が出たとのこと…。 会社に入ると、エレベータは停止しており、仕方なく内階段を9階まで上がると、所々壁に亀裂や、崩れ落ちている個所もあり、携帯のニュースで宮城沖で大きな地震があったことは知っていましたが、改めて被害の大きさに驚かされました。 しばらく仕事をしながら、携帯のワンセグでニュースを見ていましたが、東北地方の太平洋側がとんでもない事態になっていることに呆然…。 一旦は帰宅難民を覚悟しましたが0時過ぎに小田急線がようやく動き始めたとの情報が入ったので、混雑を避けて2時過ぎに会社を出て、結局家に辿りついたのは明け方の5時半過ぎでした。 その後も被害状況が気になって眠れず、朝になって続々と各地の被害の様子が伝えられ始めると、ますます深刻な状況に…。 被害に遭われた方々には、心より、、本当に心より、お見舞い申し上げます。 私もまだ何人かの飲み仲間・知人の安否が確認出来ていません…。 当地は米軍・自衛隊の飛行場もあり、今もヘリコプターが慌しく飛び立つ音が聞こえます。何も出来ない自分がもどかしく、少しでも早く救援物資が被災者すべての皆様の下に届くことをただただお祈りするばかりです。 こちらでも電車の運行制限や計画停電も実施され、被災者の皆様に比べれば、本当に微々たる不便ではありますが、皆様の思いを胸に我々も一緒に頑張っています。 まだまだ困難な状況は続くと思いますが、共に頑張りましょう。我々日本人は苦難を乗り越えられる民族ですから…。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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