テーマ:たわごと(26830)
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はじめにおことわりしておきますが、今日の日記は批判めいた内容ですが、
決して私のお友達や知人など特定個人を指してのことではありません。 なので、「私のこと?」とか思わないでくださいねー。(「あの人が読んだらどうしよう」なんて思いながら書ける内容ではありません。小心者なので。) 人の「よかれと思って」したことを、その気持ちを汲まないで「迷惑」としか受け取らない人っていますね。 そういう人って結構いるようで、 「自分の住んでいる地方の特産物を送ったら『食べないで捨てちゃった』と言われた」 とか、 「今まであげた全ての子供服を溜めておき『実は迷惑だと思っていました、要りません』と箱で返してきた(これは義母とお嫁さんの間のハナシ)」 とか、 「『よかったら使う?』と持っていったモノに対して露骨に『迷惑!』って顔をされた」 とか聞きます。 (もちろん、「食べかけ」とか「明らかに嫌いと分かっているもの」とか、「使い古しのもの」とかではないんですよ。 送った本人がもらっても「・・・」とは思わない、本当に「お店で売っているようなもの」。) 子供ならともかく、いい歳した大人がこういう態度ってどうなの?と思っちゃう。 別に本当のことを話す必要ないと思うんだけど・・・。 送られてきた物(この場合食品)なら、送ったほうはまさか 「食べた証拠を見せて」 とは言わないんだから「食べた、おいしかったよ」ですむのでは? 洋服だって、「小さくなったからお友達にあげちゃいました」とか。 「よかったら使う?」というものにだって、「ありがとう、でもいいや」ぐらい言えるんじゃないのかなーと思ってしまう。 物事を「円満」に済ますのが嫌なのか、想像力がないのか。 そういう世界の人が、ではそういう人同士仲良くなれるかというとそうでもないのでしょう。 「厳しい世界に住んでいるなー」と思います。他人にも、そしておそらく身近な人にも、自分にも。 そういう人たちにとって世界は「小さな親切大きなお世話」に満ち溢れているんだろうなー。 ブログでお世話になっているnutmeg_toさんの日記に出てきた言葉、 「幸せは適度な鈍感にあり」。 最近ちょっと「これってどうなのー!!」と思うところあった私にすごく印象的でした。 もちろん程度問題はあります。 それを踏まえたうえでのことですが、人に嫌な思いをさせてまで自分の世界を守ろうとする「敏感」よりも「幸せを感じるぐらいの鈍感」でいいや。 と思えたのでした。 (ひょっとしたら数日後この日記は削除しちゃうかもしれません) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007.02.20 00:46:17
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