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『約束しなくても 明日 会える』
約束しなくても明日会えることが どんなにいいことか 約束しなければもう次に会えないという身の上になってみて つくづくよくわかる -----銀色夏生 今月最初の日記になってしまいました。 ネタはいろいろあったのですが、日記に向かう気持ちになれなくって。 遊びにいらしてくださった方、すみませんでした。 先週、高校時代の友達が亡くなりました。 私と同じ、32歳。 家で突然倒れて、そのまま・・・。 あまりにも早すぎる別れでした。 今まで通夜、告別式に出た経験がないわけではありませんが、上司であったり同僚の親であったり「自分よりも上の世代」で、だから連絡が来たときはものすごいショックでした。 「ああ、私の歳でも死んじゃうんだ・・・」と。 出先で連絡をもらったのですが、どこをどうやって帰ってきたのか分からないぐらい。 その時買い物をしていたのですが、自分が何を買ってきたのかさえ分からないぐらいでした。 その気になればいつでも会えると思っていました。 私が子供を生んでからは疎遠になってしまっていたけれど(私が集まりに参加していなかったから)、なんとなくいつでも会えると思っていました。 遺影の彼女は、昔からよくする「頬杖をついた」ポーズをとっていました。 旦那様が撮った写真だそうで、かつて友達が「大好きな人がいるんだー」といっていたその彼とこんな形で初めて話すとは思わなかったけれど 「このポーズ、昔からしていましたよね、私も高校の時このポーズで写真撮って、と言われたことあるんですよ」 と話しました。 旦那様が言うには、 友達は、自分のほっぺが膨らんでいると(実際そんなことはないのよ、)気にしていたみたいで、だからほっぺを隠すようなこのポーズを撮って欲しがったのでしょう、とのことでした。 友達のことを旦那様と話す、その場に彼女がいないことが本当に不思議で・・・。 今だに実感が湧きません・・・。 そして、親の目線で見ると・・・大切に育ててきた子供がたった32歳でいなくなってしまったら・・・。 これからたくさん楽しいことがあったのだろうなと思うと・・・。 今回とても感じたのは、今まで私は自分が 「生きている」 と思っていたけれど、実際は 「生かされている」 のだなということ。 寿命は、誰にも分からない。 自分が今ここにいるのは、自分に与えられた何か(使命というと大げさかな)を全うするためなのだなあと。 ただぼんやりと過ごしていてはだめなのだなあ・・・と感じました。 また、彼女の死を通じて、高校を卒業して以来あっていなかった同級生と話をすることができたり、今までは彼女同様「(その気になれば)いつでも逢えるから」と連絡をしていなかった友達から連絡が来たりと、薄れていた縁が再度深くなった気がします。 さらに、実は最近結構昔の写真を処分しちゃったのですが(私自身が写真を好きではないため、)写真は取っておくべきだなあと(そして整理しておくべき)。 そこに閉じ込められた時間は戻ってこないものね。 彼女に対して言いたいことはたくさんあるのだけれど・・・ここで公開するのもなんだなーと思い、このあたりで終わりにします。 私が言うのもなんですが、どうかこの日記を読んでくださる方が 「生かされている」 ことを一瞬でも感じてくださったら・・・と思います。 (偉そうにごめんなさい) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007.06.06 00:30:56
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