カテゴリ:学び
6月4日「ヘヴニーズ・スタイル」の続き。
ガンビア人が、日本の神社で暴れたニュース。 賽銭箱を破壊し、手水舎の竹筒を引きちぎり、 別の賽銭箱の上の木箱を地面にたたきつけた。 被害にあった瑞丘八幡宮の宮司さん。 「本当に残念ですね。その一言に尽きますけど。 (当時参拝していた女性から聞いた話ですが) (神様は)イスラム教にしかいないから、 ここには神様はいない。 だからここで祈るなと言われたそうです。」 ママドゥ容疑者は、警察の調べにこう供述してる。 「違法な逮捕で、何も言うことはありません。」 このニュースを、 牧師であるマレさんは的確に分析されてます。 これに対して黒人ユーチューバーが、いろいろ言ってた。 これは(事件を起こした)この人がおかしいのであって、 イスラム教徒全部がおかしいわけでない。 これを、人種問題にしてはダメ。 「だから黒人はこうなんだ」…それが問題なんですよ。 いろいろ反応を見てると、 人種問題に持って行きたい人がいる。 「黒人はどこに行ってもこういう問題を起こすんだ」 批判的に言う人もいれば、「そうじゃない」と言う人もいる。 「イスラム教徒は、どこに行ってもこういう問題を起こす」 そういう人もいるが、そういう問題ではない。 イスラム教徒の中でも、特にイスラム原理主義の 政治的な過激な活動を良しとしてしまうジハードとか、 そういうのをやるグループっていますよね。 あれは信仰よりも、多分に政治的な動き。 そういうことに影響を受け、 そういう中で育った人ももちろんいるわけだから、 「神を信じる」ということが、「破壊、攻撃」 「他者の文化を攻撃していいんだ、破壊していいんだ。」 というような教え。 「攻撃・破壊」と「神を信じる」がくっついてる場合、 こういうことが起こってしまう。 これに対して我々日本人は、 普通に普通の感覚で違和感を覚える。 日本人じゃなくても、違和感を覚えると思うんだけど。 これは人種問題でも人種差別でもないから、 黒人が悪いんでもなく、イスラム教徒が悪いんでもない。 特殊なイデオロギーとくっついて、1つのイデオロギー、 何かを破壊するイデオロギーに宗教をくっつけてくる… 意図的にそれをやる人たちがいるわけですよ。 破壊と征服のために…これが問題なんだよ。 こういう動きに、我々はNOを言わなければいけない。 これまでの日本の歴史の中で、 今よりももっと観光客がもっともっといた時代も、 こんなことは起こらなかった…初めて起こったこと。 ということは、この人の異常性がわかるわけですよ。 だから大事なことは、 信仰とか神に誓うのは破壊ではない。 僕は牧師としても一座の座長としても 責任ある立場だから言ってるけど、 神事、神に近づく人が攻撃的になって 他者を排除するというのは、 ちゃんちゃらおかしいわけです。 それは全人類の神でないと、神でないわけです。 神がいるとしたら全人類の神で、究極の公だから、 神に近づけば近づくほど、 イデオロギーを超えていく。 政治的な考え方も超えていく。 「神に誓う」ということは、より公になっていくし、 1つの考え方に凝り固まっていかない。 つまり人種主義から離れていくということが、 本当の「神事に生きる道」だと、思うわけですよ。 このことを皆様にも、申し上げたいと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.06.07 11:07:22
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