カテゴリ:旅行
特攻平和会館へ。
会館のすぐ近くに、碑がありました。 ここで少し補足しておきます。 よく片道の燃料しか積んでなかったと言われますが、 往復の燃料は積んでありました。 軍人が若者の命を粗末に扱ったわけでなく、 「生き残って必ず帰ってこい」と言う上官もいたのです。 その上官は、何の処罰も受けませんでした。 歴史は、戦勝国によって書き換えられます。 正しい歴史を知ることも大事ですが、 日本人の精神を知り、その精神で歴史を見ることで、 何が真実であるかはおのずとわかってきます。 日本人の精神性を、しっかり取り戻しましょう。 ここだけは、撮影OKでした。 機体の状態を、近くで見ることができます。 日本人の持つ、物作り技術の高さを感じます。 修学旅行に来た学生さんたちが、持ってきたのでしょう。 優しさを感じ、散華された特攻隊員の方々も 喜んでいらっしゃるでしょうね。 間違った歴史認識で、 「無理やり特攻に、こんな若い子たちが行かされた。 かわいそうに…」 私の近くで言ってる人がいて、とても残念でした。 また何が原因で戦争が起きたのかも、 詳しく書かれていません。 「ABCD包囲網で、エネルギーを絶たれたから」 それを年表に記しておいてほしかったです。 特攻隊は、人を殺すのが目的ではありません。 軍艦を航行不能にするのが目的でした。 そのことすら、あまり知られていません。 靖国で演説をされたことのある、ジェイソン・モーガン氏。 彼の祖父は、軍人でした。 「僕のおじいさんは言ってました。 日本軍の戦いは素晴らしかった」と。 特攻機で向かってくる 特攻隊員を見たアメリカ人がショックを受けたのは、 その目が憎しみに満ちていなかったから。 憎しみに満ちていれば、憎しみで応戦できました。 ところがそうでなかったので、 兵士たちは罪悪感を持ったと思います。 崇高な精神を感じ取り、その人たちを敵として 戦ってる自分が怖かったのだと思います。 出来れば、元米兵が当時の思い… それも知りたいものですね。 とにかく散華された方々の思いを感じ取り、 彼らが守った日本を私たちが守り、 次の世代に伝えることが私たちのやるべきこと… それを特攻隊員の写真のまなざしが、 語りかけてるとを感じました。 戦争遺跡を回るためのパンフもありました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.06.13 20:38:32
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