目の見えないミルトン。(Re; BUN-HO!
>死んだ心の目で見た風景ってのはけっこう絵になるもんだよ、あんたもともとアーティスト肌なんだから何も考えずに、とにかく書いてみれば?おう!BUN-HO!お刺身鰤。早速鋭い突込みをTANK'S。ん。仰せの通りにしてみます。またカラオケいこまい。鞠淋万村のイレスポンシブル・ヘイト・アンセムだっけ?あの、ファックイーーーーーーーッツ!!!て連呼するやつよ。歌えるようになりたいから今度教えてけれ!ファイトソング歌ったらはー評判よがったで!>ところでミルトンって何?そんなのヲレが知るわきゃなかっぺさ?調べときました。ジョン・ミルトン出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ジョン・ミルトンジョン・ミルトン(John Milton, 1608年12月9日 - 1674年11月8日から11月10日の間)は、イギリスの詩人。代表作に『失楽園』など。1625年、ケンブリッジ大学クライストカレッジに入学。その端麗な容姿と清らかな心情により”クライストの淑女 Lady of Crist's”とよばれた。学生仲間の間の評判はあまりよくなかった。1629年、学士号取得。1632年修士号取得。6年間ホートンで思索と創作にふけり、仮面劇『コーマスComus1634年』やエレジー『リシダスLycidas1637年』を書き、1637年『コーマス』が上演・出版される。母親死亡。1638年-1639年フランスとイタリアを周遊し、この際晩年のガリレイにも会見したという。帰国してピューリタンの信仰に基づいて一連のパンフレットを書き、監督教会制度に反対した。1642年17歳のメアリと結婚したが、まもなく離婚。1648年チャールズ1世処刑後は、クロムウェルの共和制を擁護し、政府のラテン語書記に任ぜられ(1649年)、国王処刑の正当なことを訴え、精力的に政治文書に著す。このころから過労のため視力が衰え、1652年に失明した。1660年の王政復古により、書記の職を失い、全財産を没収された。また、共和制を擁護した著作は発禁、焚書の憂き目を見た。一時は生命の危険にさらされ、数ヶ月におよぶ潜伏生活を余儀なくされたが、同年に出された大赦令により死刑を免れている。『失楽園』(岩波文庫) Paradise Lost 『復楽園』Paridise regained 『闘士サムソン』Samson agonistes だってさ。