テーマ:"あすの日本を考える"(493)
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熊野三山の一つ、熊野那智大社(くまのなちたいしゃ)は、かつて那智神社、熊野夫須美神社、熊野那智神社などとも呼ばれていた。 大門坂から杉木立ちを歩き、参道の長い長い石段を登ると、右には西国三十三ヶ所一番札所の青岸渡寺(せいがんとじ)が、左には朱の大鳥居と大社の境内が見えてくる。 拝殿の奥には鈴門と瑞垣を挟んで本殿があり、向かって右から滝宮(第一殿)、証誠殿(第二殿)、中御前(第三殿)、西御前(第四殿)、若宮(第五殿)が順番に並び、若宮の左手前にはさらに第六殿(八社殿)が建ち、社群を形成している。 現在は、社殿が山上に建つが、元々は那智の滝のところに社殿があり、日本が、国家として歴史を刻みだす以前の遥か昔は、滝そのものが信仰の対象だったと考えられている。 2004年、熊野那智大社の社殿とその神域は、紀伊山地の霊場と参詣道とともにユネスコ世界文化遺産の一部として登録されてる。 ここが砂天狗の故郷。 そして、熊野三山を護る八咫烏(やたがらす)は、砂天狗の守護霊でもある。 東北地方太平洋沖地震は、M9.0という日本の歴史上も未曾有の大規模災害となった。 そして時間経過とともに、自分が経験した阪神淡路大震災以上に多くの犠牲者が出たことが予想され、が残念でならない。 何の罪もない人々の平和な暮らし、憩い、未来が無残に砕かれ、飲み込まれたことが哀しく残念でならない。 昨年の春、故郷の女川町に戻ってのんびり暮らすと笑っていた知人も、今は安否が判らない。 遠く離れた自分にできることは、ただ一心に祈ることだけ... 亡くなられた方々のご冥福を。 そして、生き残った方々が奮起して、町を、暮らしを、一日も早く取り戻すことができるよう、心から祈りたい。 熊野三山の神々と精霊が、復興に努力する人々をお護りくださるようにと... お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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