カテゴリ:自分らしい暮らし
現在、砂天狗の住む町は、四季折々の海産物が豊富だ。 なので、週に4~5日は魚を食べてる。 砂天狗は、どちらかといえば肉食系。(この場合は意味が違うが...笑) 別に、魚主体の食生活ってワケじゃないけど、肉より安いから仕方ない。 で、どうせ食べるなら少しでも美味しく食べたいからと、せめて醤油は少しイイ物を選んだりする。 中でも、本場の湯浅でできた醤油は砂のイチオシの醤油。 銘柄は色々あるけど、刺身とか、煮付けとか、用途に応じて使い分けたりするんだ。 今日、注文しておいた二種類の醤油が、故郷からの宅配便で届いた。 和歌山県の湯浅は、日本の醤油発祥の地なんだ。 日本の醤油の歴史は、なんと鎌倉時代にまで遡る。(いきなり郷土自慢?) 醤油の夜明けはおよそ八百年前のこと。 紀州の由良にある興国寺の開祖 円明國師が、安貞二年(1228)に南宋から持ち帰った金山寺味噌を健康食として盛んに醸造し、それが近隣の山漁村に伝えられた。 この金山寺味噌の醸造過程で、原料に使った野菜から浸み出る汁は捨てたんだけど、この汁を調味料として使ってみると、これがなかなか美味だった。 そこで、この汁を新たな調味料として醸造することを思いつき、やがて醤(ひしお)というものが作られるようになった。 これが、日本の醤油の起源だ。(やっぱ郷土自慢?) で、本格的な醤油のはじまりってのは、「紀伊国名所図絵」の記述によれば、文暦年間(1234年頃)からで、正応年間(1288~92年)には、早々と岩佐某が近隣に醤油作りを伝えたとされる。 そして、1535年頃にもなれば、赤胴右馬太郎が湯浅の醤油を舟で大阪に運び、知り合いの大阪の魚商 小松屋伊兵衛に販売を委託してしこたま儲けたらしい。(ベンチャー) 醤油の本格流通の幕開けは江戸になってからのこと。 江戸時代になってからは、醤油に目をつけた紀州藩が、醤油を藩の専売品として買い上げ、鑑札制度で御用商人に流通させるようになる。 こうして、和歌山の湯浅に誕生した醤油はまたたく間に全国に浸透して江戸の大ヒット商品になった。(さらに郷土自慢?) ヒットを受けて、醤油はあちこちで作られはじめたけど、すでに江戸では、湯浅の醤油は高級ブランドになっていて、「紀州様御国醤油」と呼ばれて江戸のセレブに人気だったとか。 しょうゆぅ~こと。(笑) だから、紀州から江戸へ醤油を運ぶ舟は藩の御用船並みの扱いを受けたし、船頭はギャラも高かったから、豪遊して江戸ギャルにはモテたらしいよ。 いつの時代も同じだ... 働いても、軽自動車にしか乗れない砂天狗みたいな小市民は、いつの時代もモテないな。(寒) しょうゆぅ~こと。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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