テーマ:"あすの日本を考える"(493)
カテゴリ:独りの時間
安政六年(1859)七月、江戸伝馬町の獄中にあった吉田松陰のもとに、 高杉晋作は「男子たる者の死」について教えを乞う手紙を差し出している。 獄中の松陰は、晋作に返事を書き、次のように簡潔に死生観を説いた。 死は好むべきにも非ず、亦(また)悪むべきにも非ず。 道尽き心安ずる、すなわち是死所。 世に身生きて心死する者あり。身亡びて魂存するものあり。 心死すれば生くるも益なし。魂存すれば、亡ぶも損なきなり。 死して不朽の見込みあらば、いつでも死ぬべし。 生きて大業の見込みあらば、いつでも生くべし。 安政の大獄に倒れ、死後もなお尊皇攘夷の原動力となったのが吉田松陰。 松陰は長州藩士で思想家、兵学者、教育者としても優れ多くの逸材を見出し、 のちに維新の精神的指導者として名を残す。 手紙のやり取りのあと、松陰は幕府の命によって斬首刑となったんだ... 文久二年(1862)、晋作は藩命により幕府使節随行員として上海へ渡航した。 晋作は、清国が列強によって植民地化されつつある実情を目の当たりにし、 帰国後、攘夷の決意を新たに時代を駆け抜けてゆくことになる。 松陰が最期に伝えた言葉が、晋作にどんな影響を与えたかは定かではないけど、 死を覚悟しつつ書き記した松陰の手紙は簡潔でありながら、いかにも高い知性と、 気高さが込められている。 松陰が晋作に伝えた最期の教えには、人としてのプライドと信念に満ちていた。 今の日本に、一番欠如しているものを、教えられている気がするんだ。 中秋の月を愛で、杯を干しながら、ふと松陰が生きた幕末に思いを馳せてみた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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