テーマ:ココロ(1186)
カテゴリ:開運の法則
生きる目的は?って問われると、人は何と答えるだろう... 今さら何をと思うけど、砂にとっても即座に答えることは難しい。 とあるサイトによると、二十世紀のはじめ頃までは「しあわせになること」と、 多くの人が素直に答えられたそうだ。 そんな古きよき時代にあって、哲学や心理学は注目され、人の心の願望を突き詰め、 人のしあわせを後押しするために、学問として大いに発展した。 けれど、モノが豊かになった近頃は、"しあわせ"はすっかり物質化したようで、 自分の心への探究心は薄れ、哲学や心理学は学問としても廃れつつあるという。 いつの頃からか、心への関心は、モノを消費する快楽に代わった。 その結果、手に入れることが生きる目的となり、しあわせになってしまった。 物質の創造=文明とか、経済発展=しあわせといってしまえばそれまでだけど... 砂自身も、優越感や満足感を、しあわせと取り違えている一人だ。 その結果、世の中には経済だけに興味を持つ拝金主義が増えている。確実に。 これほど情報が高度に、物流が豊富に、サービスがスピーディーになった時代。 今さら、人の暮らしは十九世紀へは戻れない。さて、どうしよう? 札束も、黄金も、債券も、付加価値の高い宝石も捨てがたい。 けれども、一番輝いてなきゃならないのは心だと、一応頭では理解はしている。 さて、どうしよう? 激しく偏りはするものの、モノが溢れ、人々が豊かさを享受する今の時代は、 ともすればしあわせという言葉すら色褪せてしまうかも知れない。 しあわせとは、個々の人の心に内在するものなのに、いざ問われると、 即答できる人は少なくなった。とはいえ、しあわせは自分で築くもの。 日々の暮らしの中で、何に価値を見出し、何にしあわせを感じようとも、 人の心の中だけは基本的に自由だ。だから、しあわせの感じ方次第では、 人はどんな境遇にいてもしあわせだといえる。 東日本大震災、そして紀州の水害は、日本の多くの人にとっても、砂にとっても、 一つの教科書になった。多少の不便は、分かち合ってこそ苦にはならないと。 砂が、気づいた一つが「絆」。地域、国境、あるいは民族をも越えた絆だった。 それは、災害にもテロにも、世界恐慌にだって有効な"武器"となるものだとも思う。 しあわせとは、まず手はじめに感じること。そこからだと思ったりした。 きっとそこから、しあわせの処方箋がみえてくるような気がする... お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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