テーマ:ココロ(1186)
カテゴリ:独りの時間
他県の人から観ると、神戸という街は海辺の旧居留地や北野町の異人館、南京町、 メリケン波止場(現メリケンパーク)とか、山手には教会や外人墓地があったりして、 どうしても国際貿易港とかファッションの街とかいう印象が根強いね。 だけど、そんな都市のイメージとは一味違った、歴史にも巡り合える街でもあるんだ。 神戸は、もともと交易や交通拠点として平清盛が開いた港で、平家一族の縁(ゆかり)の地だ。 なので、神戸市内を歩けばあちこちに史跡を見ることができる。 とくに、三ノ宮から少し西の兵庫区界隈は、平家一族の痕跡を辿って歩ける地区で、 神戸市兵庫区切戸町には、清盛塚と琵琶塚が並んで建っている。 「平家物語」では、清盛の遺骨は福原に納められたことになっているけど、 源氏の史記「吾妻鏡」によれば、播磨山田の法華堂に納められたと記されている。 ここに建つ十三重の石塔は、奈良西大寺の叡尊(えいぞん)による石塔供養で、 鎌倉時代に建立されたというのが、近年になって浮上している説だそうだ。 石塔には、弘安九年(1286)の年号が彫られていて、「福原鬢鏡」や「摂津名所図絵」には、 ここが清盛の遺骨が納められている場所で、執権北条貞時が石碑を建立したとしている。 そして、その清盛塚の傍らには、琵琶塚が並んで建てられている。 琵琶塚は、平経盛(つねもり)の長男の経正(つねまさ)の墓と伝えられている。 「吾妻鏡」では、経正は一の谷の合戦の折に、安田義定の手勢に討たれたとあり、 また、「源平盛衰記」には、明石の大蔵谷に逃れて、そこで自刃したとも記されている。 ちなみに琵琶塚の名は、経正が琵琶の名手であったことに由来しているという。 清盛塚と琵琶塚から歩いて直ぐのところには、兵庫大仏として知られる能福寺がある。 治承四年(1180年)に平清盛が福原遷都のとき、平家一門により七堂伽藍が建立された。 能福寺もまた、清盛縁の寺として今に名を残す神戸の古寺の一つだ。 神戸市内に点在する史跡は、またときどきネタがないときにでも紹介するつもり。 神戸の史跡ネタが更新されるときは、つまりブログネタに困ったときだな...(爆) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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