テーマ:"あすの日本を考える"(493)
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「知命」とは、論語に由来して天命を知ること... 孔子は、五十才のときに天が自分に与えた使命を自覚したといい、 知命は五十才の年齢を指す言葉になったんだ。 五十というと... 「50」という数、または「50個」のことを「いそぢ」と呼んだりするね。 この「ぢ」という接尾辞は、9以下の「つ」という接尾辞と同じこと。 「ぢ」に「路」という字があてられて、○○才代という年齢を指す意味になった。 百分率では50は100の半分。それに関連づけて、「フィフティ・フィフティ」とか、 五十歩百歩だとか、半分を表わす意味で使われることが通例となってる。 化学でいえば、原子番号50番の元素はSn(スズ)だね。 Snには、十種類もの安定同位体が存在していて全元素の中で最も多い。 理由は、50が陽子の魔法数だからだと考えられている。 偏差値で50は平均値。砂的には低過ぎると思うけど。(笑) 日本人の美徳は、勤勉と礼節と高い道徳観だ。 天が、自分に与えた使命を自覚するのが五十才... なのに、砂を怒らせて、昨年の暮れに砂が解任した前社長は五十三才。 そして、砂の上役で取締役という定年もない地位にありながら仕事もせず、 砂の顔に何度も泥を塗った裏切者の本部長は、五十六才。 本来、高い道徳観と知性を備えているべき、この国の知命の年齢は、 ここまで落ちぶれてたんだろうか... 砂は、定年まであと三年半。もうひと頑張りしないとねぇ♪ ちなみに砂は五十一才。やっぱり知性に欠けるかな...(笑) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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