テーマ:ココロ(1186)
カテゴリ:独りの時間
それは、阪神淡路大震災から3年経った、1998年の梅雨の夜だった... 地震で、神戸の街並みは失われ、代わりに真新しいビルが建っていた。 街の外観は、確かに急ピッチで輝きを取り戻しつつあったけど、 一方で、人の暮らしなんて簡単に元通りにはならなかった。 命を落とした友人も多かったけど、残った連中も神戸で職に就けず、 多くは諦めて次々と神戸を離れて行った。 自分自身も、バイトで食い繋いで職を求めて京阪神を転々とした。 悲観して自殺する友人が増えていた。 ポートタワーは、地震から間もない2月14日に照明を再開した。 "復興に立ち上がる神戸市民の希望の灯に"という願いが込められていた。 1ヶ月間、暗闇だったベイエリアにタワーが浮かび上がったのが嬉しかった。 以来、中突堤でポートタワーを見上げるのが心の慰めになっていた。 あの夜も、中突堤の鉄製のビットに腰掛けて缶コーヒーを口にしながら、 タワーを見上げて考え事をしていた。 携帯電話が鳴ったけど、出る前に切れてしまった。 世話になった、先輩からの着信だった。 いつも心配して、気遣って電話してくれる先輩だった。 掛け直したけど、先輩は出なかった。 何本目かの煙草に火を点けたとき、また電話が鳴ったが今度は出なかった。 あの夜、郵便受けの支払の督促状を目にして気持ちが荒んでいた。 地震から3年余り... ポートタワー、ハーバーランドの観覧車、波に揺らめくネオン... 明るさを取り戻しつつある夜景を、一人で眺めるうちに気弱になって、 誰かと会話する気になれなかったんだ。 ぼんやりしていると、今度は先輩からメール着信があった。 「俺も一人やから、飯でも一緒にと思いついてな。苦労してるみたいやな。」 「ドアに差し入れかけといたで。またな。」と。 メール着信は、午前01:45だった。 そのあと、もう一度メールが入ったけど開かないままにした。 着信は午前03:03だった... 次の日の夜、バイトを終えて先輩のマンションに立ち寄ったけど、 留守だったようで、ドアノブに缶ビールを2本ぶら下げて帰った。 その翌日、先輩の姪から連絡をもらい、先輩が亡くなったと聞かされた。 あの夜、砂のアパートへ出掛けた帰りに大型ダンプの後輪に巻き込まれて、 ほぼ即死だったそうだ。 事故は午前02:30頃だそうで、搬送先の病院で死亡が確認されたのが、 午前03:00だったそうだ。 後で知ったことだけど、会社再建のためのリストラの名目で、 その先輩もとっくに勤め先を解雇されていたそうだ。 先輩の姪と一緒に、最後の着信メールを確認した。 「俺、色々あってもうあかんけど、お前頑張れよ。」という内容だった... 葬儀の夜も、何故か中突堤に足が向いた。 メールを何度も見返して泣けた... 時間経過で考えれば、あのメールの着信時間は不可思議だ。 先輩が亡くなったあとで、送信されたことになる。 だけど、誰もが自分の事で精一杯だった当時を思い出すと、 後輩を案じてくれた想いだけで、今さらながら心に沁みる。 もう直ぐ先輩の命日だけど、何処でどのように弔われたかも判らない。 ただ毎年、胸の奥で感謝しながら影盃を捧げるのみだ... お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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