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勝ち負けという言葉が嫌いだ。 勝ち負けというのは争いの元凶ではないかと思っている。 純粋にスポーツだけで勝ち負けを…というのは現に理想論であろう。 余りに…胸が詰まってしまった。 事あるごとに人の下にいさせられた人の話。物ごころついたら一緒にいる相手は「勝った」と叫び、その人は「負けた」と言わされていたと。 言葉が浮かばないのだ。ただ、苦しくなった。そして心が震えた。 これらの行為を小学生なり中学生なりがすればイジメになるのだろうが、小さい子同士ならいじめとしてどうして取り上げないのだろうかと。 生れた人間特に子供が純真だという意見の人に是非この話を見せてやりたいと思った。そう、たとえどんなに小さくたって媚もうるし人の優位に立とうとするのだから。 勝ち負けなんて感情は私はくだらない思う。そうだな、一部の人の満足ややる気を起こさせるために存在するのだろうな、勝ち負けは。そこに勝ち負けの興味のない人間は成長しないのかといえばそうではない。ただ、勝ち負けに興味が無いのだ。自分と向き合うか、外からの刺激を求めるかだけであろう。 しかし勝ち負けというのは「優劣」を表す言葉の一つだ。 それを相手に負けたと言わせる。 そんな事をする子供がいるのに子供のどこが純真なのだろうか。 勝ち負けという言葉やそれに類する言葉とは一般的に他人への優劣や自己顕示欲を表すために使われる事が多いと思う。一般的にきかれる言葉はなんと哀しい言葉なのだろうと思った。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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