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みなさまこんにちは。
毎日暑いですね。 エアコンをなるべく我慢しようと頑張る日々です 長女が受験生なので、今年は海も山もありません さて今日は、タイトルの本、 「朽ちていった命-被曝治療83日間の記録-」 NHK「東海村臨界事故」取材班(新潮文庫)をご紹介します。 東日本大震災以後、福島第一原子力発電所の事故は、地域の再生や経済の再生に暗い影を落としています。 今になって大騒ぎになっていますが、国民は「原子力発電が安全で安価」という国の施策を深く考えもせずにその恩恵の部分にばかり乗っかってきたのですから、その点については、国民自らが深く反省すべきではと思います。 今回の事故は、それでも、不幸中の幸いというか、臨界に達した原子炉から中性子線が漏れたということではなかったので、1999年に茨城県の東海村で起こったJCOの臨界事故のような事態にはなりませんでしたが、一歩間違ったら、と思うと本当に恐ろしいです。 福島の原子力発電所で働く作業員の方の中にも、JCOの事故のように、8シーベルト(ミリでもマイクロでもなく『シーベルト』です。今大騒ぎになっている『ミリシーベルト』とか『マイクロシーベルト』単位の、1000倍とか100万倍とかの単位です)を超えるような方が出なかったのは、不幸中の幸いとしか言いようがないと思います。 8シーベルト以上の被曝をしたことが明らかな人が、長期生存した例はありません。 (JCOの事故発生時までは、8シーベルト以上の被曝の場合は1~2週間で死に至るという前例しかありませんでした。) 8シーベルトという量がどのくらいの量かといえば、年間100ミリシーベルトを浴び続けた人の線量が全部蓄積されていったとして、80年かかって到達する量です。 単位がマイクロシーベルトなら、その1000倍の時間が必要です。 ということで、これから書くことは、今福島で起こっていることとはまったく別の次元のこととして、混同しないでお読みいただきたいというのが大前提ですが。 それでも、核というものがどういうものなのか、最悪の場合、人体にどんなことが現実に起こるのか、を、知ったうえで原子力発電所のことも考えていただきたいので、今日はこんなことを書いています。 私は、2001年5月にに放送されたNHKスペシャル「被曝治療83日間の記録~東海村臨界事故~」を視て(本放送ではなく、再放送のものだったかもしれませんが)、改めて核の怖さを思い知りました。 その放送の前に、1999年12月、被曝され治療中だった患者さんが亡くなられたときに、治療チームの記者会見が行われ、主治医だった先生が(詳細な表現は記憶していませんが) 『放射能、核の脅威の前には人間の知識や能力が(現代の医療、とおっしゃっていたかもしれません)あまりにも無力であるということを思い知った』 ということをおっしゃり、そして、 『私は、核というもの(放射能とおっしゃったかもしれません)を心から嫌悪する』 とおっしゃいました。 はっきりと『嫌悪する』とおっしゃったのです。 そういった記者会見で、医師の方がはっきりと『嫌悪する』などという言葉で表現するのを聞いたのは初めてでしたから、とても印象的で、私の心にくっきりと刻まれました。 そして、それから1年以上経ってその番組を見たのですが、想像を超えた状況がもたらされていたことを知りました。 多くの方々に、あの番組を見てもらいたいし、この本を読んでいただきたいと思います。 そして、人体が中性子線を浴びるということがどれほどのことなのかということをぜひ、多くの皆さんに知っていただきたいと思います。 中性子線を浴びた人体は、その体の組織の設計図である染色体が、すべてバラバラに散ってしまう程の破壊を受けるため、その組織は2度と生成することができなくなります。 それはどういうことかというと、一定のサイクルで古い組織が役割を終え、新しく作られた組織に交換されるはずなのに、新しい組織ができてこないということです。 つまり、たとえば皮膚が知らず知らずのうちに、普通は古いものが垢となってはがれ、新しい皮膚がそこを覆っているのに、その場合は、古い皮膚がはがれおちるだけはがれおち、新しいものができてこないのです。 化粧品のコマーシャルなどで、お肌が生まれ変わるのに4週間、などとやっていますが、たとえば、ひどい日焼けをして真っ赤にはれた皮膚でも、しばらくすればダメージを受けた皮膚がボロボロむけて元通りになりますが、そのボロボロの後、何も再生されてこなければ、筋肉がむき出しになってしまいます。 JCOの事故で被曝された患者さんについて 『皮膚がむけた部分は、むけたての状態がずっとつづき、治っていくところがひとつもない』と、本の中にはあります。 医療スタッフは、体の前面の皮膚(表皮)がすべてはがれおちてしまった患者さんの体に抗生物質の入った軟膏を塗り、特殊なガーゼをあてがい、治療を続けました。 最初に影響を受けるのは、そういった新陳代謝のサイクルの早い血液、粘膜、皮膚などですが、筋肉や臓器も『染色体がばらばらに破壊』されてしまったなら、最終的にたどる道筋は同じです。 被曝当初お元気だった患者さんを何とか助けたいと、当時の最高の技術を駆使して必死の治療を医療スタッフはつづけましたが、再生できなくなった組織を再生させるすべはなく、患者さんは亡くなりました。 本の中に、医療スタッフの一人の方が『むかし広島にある原爆の資料館で見た被爆者の写真を思い出した。50年以上前、原子爆弾で被爆した人たちも、こういう状態だったのだろうかと考えていた』 とあるのですが、私も、本を読み進める途中で、まったく同じことを考えていました。 以前にこの日記(2005年8月15日)にも書きましたが、『わたしがちいさかったときに』(フォア文庫)という、広島での原爆体験の作文集には、小さな子どもの目の前で起こった悲惨な現実が淡々とつづられています。 爆心地近くから無事に戻ってきたものの、1ヶ月経つか経たないかで亡くなってしまった祖父と妹のことが書かれた作文には、致死量をこえる線量を被曝してしまった人の、無治療の場合の転帰と呼べるものが書かれていると思いました。 今日は広島の原爆の日ですから、原子力、核というものを本気で見つめてほしいと思います。 原子力発電所自体の是非もさることながら、使い終わった後の核燃料ですら、安全性は確立されていません。生物にとって危険性の少ない物質に分解することもできず、危険が及ばないように、地中深くに埋めるしか方法はありません。 そんな方法で、その土地で大地震や大津波が起こったときに、本当に安全だと言い切れるのでしょうか? その施設が老朽化する100年後200年後も安全だと言い切れるのでしょうか? 使い終わった燃料を、安全な物質に分解できるならまだしも、危険な状態のまま、危険が及ばないように地中深く埋め込むことを『安全』と言い切るなんて、ナンセンスです。 原子力発電所の廃棄物を兵器に再利用しようとする国も少なくありません。 私は、電力を大量に使う生活の恩恵を享受してきたことを否定しませんが、これからもし日本が、脱原子力発電の方向に向かうことを決断するなら、不自由な生活を我慢しなければならなくとも、それを受け入れたいと思います。 ということで…。 ではまた~~ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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