カテゴリ:東日本大震災
東日本大震災から8ヶ月が過ぎました。 ときは確実に流れていきますね。ほんとうに。 震災のことは、ついこの間のことのように感じることもあれば、 遠い昔のことのようにも感じられることもあり、なにを中心に据えるかによって 感覚が変わってくるのを感じます。 先月、被災地へオーラチャクラリーディングのボランティア活動を させていただきに伺ったときも、さまざまな現実といろんな思いを お聴きしてまいりました。 生きていく上での大切な基盤である衣食住がとりあえず、 (ほんとうに最低限の状態だと思いますが…) 確保され命の安全感を実感されるようになったことで、 新たな生活へと踏み出し、元の生活、またはそれ以上を 目指して力強く前に進みはじめられた方々もいらっしゃれば、 大切なご家族の方がどこにもいないという現実、 もう二度と逢うことができないのだという事実を実感して、 より深い悲しみのなかにいらっしゃる方々や、 出口のない苦しみのなかに入り込んでしまったような感覚を 感じている方々もたくさんいらっしゃいました。 「いくらでも頑張れるんです。いくらでも働けるんです。 でも悲しいんです。感情はどうにもならないんです。」 「何事もなかったように、主人の職場が元に戻っていくのを見るのが 耐えられないんです。」 「いつまでも悲しみの中にはいてはいけないと思うんです。 前を向かって進んでいかなければいけないってわかっているんです。 でもどうしてもできないんです。」 という心の奥深くの思いを吐露くださった方々、 「自分はどうしていつまでもこんなに立ち直れないのだろう?」 「私と結婚しなければ、主人はこのようなことにならなかったのではないでしょうか?」 とご自分を深く責めていらっしゃる方々が、たくさんいらっしゃいました。 でも、このようなはかりしれないほど深い悲しみを吐露くださった方々は みなさま、セッションがはじまる前までは、おだやかな笑顔で話していらして、 被災されたことや津波によってすべてを失ったこと、 大切な方を亡くされたことの悲しさや辛さを微塵も感じさせません。 心の奥深くにしまわれているようでもありました。 せめて、このセッションが、 悲しみや苦しさ、怒りなどのお気持ちを安心して吐露できる場に なることができたら、という思いでいっぱいになっておりました。 震災から8ヶ月が過ぎ、現実もどんどん動いていきます。 悲みを外に表わしている方もいれば、奥深くにしまっている方もいらして、 前を向いて歩いている方もいれば、悲しみの中にいる方もいらして、 今までと同じ生き方を選択された方もいれば、 新たな生き方を模索したり、思いきって踏み出された方、 どんどん馴染んで新しい世界を創りあげている方もいらして、 どの選択もその方がそうしたいと思ったことが、その方にとって正しい、 そうしたいと思うことをそうしていいんだと安心して選択していくことの できる状況や状態があることの大切さを心から感じていました。 悲しみは、大切な方を愛する気持ちからくるものだから、 そんなすぐ癒えることはないのでは、という思いも、 たくさん感じておりました。 ときが経つにつれて、その種類やカタチは変わっていくかもしれませんが、 大切な方を喪ったという事実や もう二度と逢うことができないという現実を実感するたび、 その方への深い思いが悲しみとなってあらわれてくるように感じるからです。 被災者の方々とは、環境や状況、関係性などぜんぜん違いますが、 私自身は今も、14年前に突然、自ら死を選び、 目の前からいなくなってしまった親友のことを思うと 深い悲しみを感じます。 それは、14年前に感じていた悲しみとは種類もカタチもぜんぜん違うのですが、 もう二度と一緒に食事をしたり、身体をとおした声を聞けなかったり することができないのだなぁという現実を思ったり、 一緒に年齢を重ねていけないことや、 40歳になった今を語り合えないことを思うと、 たまらなく寂しくなるからだと思います。 でも、このような気持ちは、 彼女のことが大好きな気持ちからくるものだと思うから。 私は一生、この悲しみを感じつづけていくだろうなぁと思います。 そして、この悲しみの気持ちを一生大切にしていきたいと思っております。 * …とりとめのない文章になってしまいました。 ほんとうは、被災地にてボランティア活動をおこなっていく中で 感じたことはもっとたくさんあり、上手に文章にまとめられないのことが 歯がゆいのですが、この文章がいまの精一杯となります。m(__)m お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.11.15 17:45:23
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