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重度障がい児育て、というちょっと変わった子育てをするようになって12年が経ちます。
最初のころに比べて、自分はかなーり丸くなったとは思います。 当初はここには書けないくらいの真っ黒いことを考えたり、会話してる相手に対して反抗心みたいなものがありました。 きれいな格好をして外出していく人に対して、子供を預けて働いている人に対して、子供のことはママ任せで仕事帰りに飲んで帰ってくるパパに対して、とにかく自分の好きなことが出来る人に嫉妬していたのでしょうね。 こっちは24時間我が子の命を守るために生きているようなものなのに。 お洒落どころか、一日部屋着で過ごしたり、なんてことは当たり前でした。 まとめて寝られないことから、肉体的にも精神的にもかなりダメージを受けていました。 今、冷静に考えれば、当時の自分は先の見えない不安と思うようにいかない人生に対する苦情の塊だったと思います。 会社の仕事と違って、だれも代わってくれない。 『私』に与えられた使命。 それが重たかったし、苦痛でした。 でも今は逆にそれが今の私を生かしてくれてるような気さえします。 『この子を守るのは私しかいない。』 使命感というのは人を前向きにさせるんですね。 12年経って重度しょうがいの子を育ててる、という肩書きが、私の名刺のようになりました。 逆に立派なキャリアだとも思えるようになりました。 ただ、、、やっぱり正直疲れます。 重度しょうがい児に対する理解、というのも全く一般社会では広がっていません。 昨日、息子の3歳児検診でした。 今ものすごく手がかかり、こだわりが強く育てるのがすごく大変。 なので検診のあとに保健師相談、というのを受けてみました。 案の定、話を聞いてくれただけでなんの解決にもなりませんでしたが。。。 我が家の状況はもちろんカルテにあるので『お姉ちゃん、大変なんですねー。』とは言ってました。 最後に『こんなサークルがあるんですよ。』と区の施設でやってるサークルの紹介が。 『あのー、私、外出する事も出来ないんですけど・・・』 心の中で叫んでました。 自由に外出できない。 これって、一般社会では想像できないんでしょうね。 ちょっとショックでしたね。 所詮、重度しょうがい児を育てるというのは、やってみないと分からないんだと改めて思いました。 保健師さんなんだから、ちょっとは想像力働かせてくれてもいいのにねーーー。 何においてもそうでしょうが、やはりそのものを経験してみる、もしくは当人が強く発信していかないと理解というものは得られないのですね。 すごく難しい問題です。 ちなみに我が家のパパ。 私が『最近疲労感が取れなくて。。』っていうと『何が理由なんだろうね』って。。。 おいおい。 そりゃ、12年近く夜間にちょこちょこ起きる生活を送ってごらんよ。 40過ぎたら疲労だって蓄積するわ! たまには助けてくれるけど、ためしに1か月ママなしでまゆうを育ててごらんよ。 まずは家族の理解から、、、ですね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
March 12, 2014 03:34:53 PM
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