心配は百害あって一利なし
<心配は、百害あって一利なし>今日は、教訓となる私の体験談を。思考の現実化について、著書「引き寄せの法則」が話題になったが、望むことが、現実化すればうれしい。しかし、心配事も、現実化してしまう・・という話。随分前の話だが、アンラッキーな私は、自販機のおつりで、偽造された(裏がでこぼこになっていた)500円硬貨を手にしてしまった。会社の仲間に、「そんなの持ってて、警察に見つかったらヤバイよ」とか、「それ自販機で使ったら、犯罪者だよ」とか、面白半分におどされ、小心者の私はかなり恐怖心を抱き、即、帰りに交番に届けることにした。ところが、駅前の大きい交番なのに、おまわりさんは一人も不在。少し待ったが、こない。夜遅く疲れていたので、仕方なく持ち帰ることにした。お財布の硬貨のことが、必要以上に、気になっていた。想像力たくましい私は、よせばいいのに、あらぬ妄想を、繰り広げていた。警察の一斉検問につかまったら、どうしよう・・とか、事件に巻き込まれて、警察に財布の硬貨が見つかる・・とか。これじゃ、まるで私が犯人じゃない。私は、心配事には、強い思考力が働くようだ。考えられる最悪の状況を、ありありと思い描いてしまう。次の日、心配は予期せぬ出来事で、現実化してしまった。財布に硬貨を入れたまま、車で買い物に出掛け、帰りに、交番に寄る予定だった。不意に、車の後ろから自転車のおじさんが飛び出してきた。とっさにさけ、ハンドルをきった。危機一髪、おじさんは無事で・・というか、起こった事態にまったく気づいていないのか、そのまま、何事もなかったように、行ってしまった・・・私は、といえば・・すんでのところで、土手に車ごと45度の角度で、止まっていた。土手に草が生い茂っていたのが、ラッキーだった。そっーと、車から這い出し、仕方なく、近くのお店に入り事情を説明し、レッカーを頼もうとしたら、さっきのおじさんが、人事のように、「車が大変なことになっているから・・」と、警察を呼ぶことを頼んだと、言うではないか。(えっー、別に、呼ばなくていいのにー。)心の中で叫んだ。ほどなく、本当にパトカーが来て、事情を説明。頼んだレッカーも来て、車は無事だった。ぼう然とした状態のまま、また運転し、警察署に駆け込んで、あの硬貨をさっさと手放した。指紋を採られたかどうか、記憶はないが、結果として、500円損したことだけ覚えている。家に帰り、冷静になり、事態を分析すると、(へんなおじさんで、ありえない飛び出し方が、妙に気になるが・・)やはり、私の心配する思考が、現実化した・・事態を引き寄せてしまった・・・と、言わざる終えない、と思った。本当に警察を呼んでしまったわけだから・・。レッカー代含め、出費は痛かったけど、おじさんも、私も無事だったし、何より、この事件から、私は大きな教訓を得た。“心配(マイナスの思考)も、現実化する”と。良い悪い、の判断なく、思い描く思考が、私たちの現実をつくるということを、身をもって知った。そう思えば、安い出費だったかもしれない。心配して、起こると困ることを、考えたところで、その事態を変えることはできない。それどころか、困ることを起こしてしまう可能性さえある。私はもともと、心配性だったから、過度な心配を、気にかける様にした。どうしても、考えてしまうなら、その事態が起こらないケースを創造し、想像するようにしている。日々、思考はめぐりめぐっている。思考をコントロールする視点を持つことは、とても大切。まだ、力不足だが、食べたーい!と、思ったピーナツバターを次の日にもらったり・・欲しいー!と、思った化粧品を、何気に手に入れたり・・というプラスの思考の現実も、たま~に、ある。これらのケースは、本当に心から欲しいーと、思った気がする。現実化のキーポイントは、心から発する純粋さ・・かな。願い半分、疑い半分の、大きな願いは・・なかなか叶わない。