カテゴリ:素敵に生きる心がけ
23日に父が亡くなりました。
もう3年半も看病をして、命が短くなっていることも とっくにわかっていたはずなのに、 いざ亡くなると、 息をしていることと、息をしていないことの差を 大きく感じました。 あなたのクリックをご協力ください。ありがとうございます!! 徹夜の看病、仮通夜、通夜、葬儀と続き、体力も精一杯でしたが、 喪主でもあったので、すべてが終了するまでは気がはっていたのでしょうね、 疲れを感じる間もありませんでした。 しかし、全てが終わり、どっと疲れが出る頃、同時に寂しさが押し寄せてきました。 亡くなってからあらためて、慈愛深く育てられたことを しみじみと感じました。 病気をしてベッドの上にいても、父が生きている間は、 “もっとこういう父でいて欲しかった”とどこかで思っていたのでしょうね。 ところがいざ、亡くなってみると、そんなことよりも、 愛されて育ったこと、愛してくれた人が亡くなった、ということが 大きく感じられ、寂しくてたまりませんでした。 自宅に戻って数時間、たまたま一人になったせいもあったのか、 寂しさと悲しさで、嗚咽して泣きました。 こんなに泣くとは思っていませんでした。 父が11月に人工呼吸器をつけたり、気管切開したとき、 大きく感情が揺れました。 動揺し、泣いて過ごした時期があったので、 それを乗り切った後は、ある程度覚悟ができたと自分で感じていました。 だから、こんなに泣くというのは、自分でも予想外の感情の流れです。 泣きつかれて横になって、江原さんの本をパラパラッと 眺めていると、 いつまでも悲しんで暮らすのはよくありません あなたが人生を前向きに楽しく暮らすのが亡くなった方への一番の供養です ということが書いてあります。 本当にそうですね。 3年半という年月の看病中は、父の生死と関係なく、 単純に看病から解放されたいと思ったことが何回かありました。 だから、もし、亡くなったら、悲しいのは当然としても看病からの開放感は あるんだろうと思っていましたが、不思議ですね。 いつも病院に行っていた時間になると、“ああ、もうすぐ病院に行かなくっちゃ。”と 思ったり、日曜日は毎週、朝から夜まで看病していたので、スケジュール帳を 見ると、“日曜日は病院だから・・”と考えている自分がいます。 “ああ、そうだ、もう病院に行かなくていいんだ・・” そう思うときの私には解放感はなく、あったのは寂しさでした。 親がいる間は、親への期待と現実とのギャップに目がいってしまい、 すでにある親のありがたさが小さく見えていました。 ところが亡くなると、親への期待と現実とのギャップは小さく見え、 もうこの世では直接感じることができなくなった親の愛が大きく見えます。 今、親がいる方へ 親も人間です。 不完全です。 なのに子供は親に完全を求めます。 もっとこうであって欲しい、昔、こうして欲しかった、と思います。 けれど、親の愛情があったからこそ、今のあなたがいるはずです。 親が生きている間にどうぞそちらの方に目を向けてくださいね。 ふた親亡くなってしまった直後の私が感じている想いです。 ベストライフ・コーチング お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年01月26日 23時20分19秒
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