カテゴリ:コミュニケーション
私は最近、山田ズーニーざんにはまっていて、彼女の本を
立て続けに読んでいます。 山田さんの文章には、私が表現できなかったことを 代弁してくれているような言葉が随所にあり、 そう、そう、これ!これ! と表現しえてなかった想いに出会えるような感覚があります。 あなたのクリックをご協力くだ さい。ありがとうございます!! 例えば、『大人の進路教室』の見出し「ここで勝たなくていい」 にこんな文章があります。 「自分を不当に低く扱われた記憶がせつなくて、 “それ以上でもそれ以下でもない自分をきちんと認証して欲しい“ というような“せっぱつまったもの”が自分にあった。」 私にもありました。2年前のことです。 その頃の自分をありのまま理解して欲しかった人に ありのままを見てもらえなかった悔しい気持ちがありました。 でも私は、その時に私が感じていた想いを、上手く表現できなかった。 “相手を傷つけることは言いたくない。”そう思い、言葉を選び選び 表現しようとしたけれど、ダイレクトじゃない分、うまく伝わらない。 結局、伝えられないもどかしい想いを抱えながら、 それでも私なりに努力して表面上は気持ちよく終わりにした、 ということがありました。 (以下はかなり要約と意訳をします) 「でも、ここで勝たなくていい、と思った。 素の人間力 どんなたたずまいでいるか どんなふるまいをするか どんな言葉を発し どんな風に人とつながって どんな色の時間を作っていけるか そういうものの方がよっぽど強い。 そこで勝負しないといけないと思う。」 私があの時感じていたものに、とても似ています。 でも、それをどうにも言語化できなかった。 その時の想いが、山田さんの文を読みながら、 そう、そう、この気持ちだった と癒され、自分の中で腑に落ちていき、言語化できた分だけ 自分への信頼が増していく。 次のページをめくると、また別の想いが浮き上がり、癒され、 腑に落ちていく。 その繰り返しに心惹かれ、読んでいます。 どうにも言語化できない この感覚は誰でも何度か経験していることではないかと思います。 何故、できる人がいて、できない人がいるのか。 それは単にトレーニングの差ではないか。 トレーニング、つまり実際に言語化する、ということを 何度も何度も練習してきたかどうか。 言語化することで、関係がまずくなるかもしれないという怖れを 越えて、失敗してもいいからと体当たりする。 失敗もするけど、時に成功することがある。 だんだん成功する割合が高くなり、心の機微をもっと上手く 表現できるようになる。 きっとそんな流れなんだ、ということを、山田さんと、 高校生や大学生、社会人の読者からの生の声から、感じています。 「表現するトレーニングの必要性」を、山田さんの本から 私は今、切実に、ビシビシと感じ取っています。 ベストライフコーチング お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年04月01日 17時19分13秒
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