カテゴリ:コミュニケーション
4月1日の日記で、
「表現できなかった想いが、山田ズーニーさんの文を読みながら、 そう、そう、この気持ちだった と癒され、自分の中で腑に落ちていき、言語化できた分だけ 自分への信頼が増していく。」ということを書きました。 あなたのクリックをご協力くだ さい。ありがとうございます!! この場合は、私の方から、自分が描けずにいる想いを すでに描いてあるものの中に見つけにいき、やっと出会えた、 という流れです。 先日、この逆の流れでもなく、二人で、探し物をしてやっと探し出せた という感じが得られたセッションがありました。 ずっと長くコーチングしている方です。 今まで、いろんな話を聴いてきました。 やり始めた頃とは見違えるくらい進歩のあった方です。 その日は、二人でその方の心の風景を見つめていました。 その方が話すと、私が別の言葉で表現してみる。 「そう、そう、そんな感じ。」「いや、ちょっと違う。」 こういったことを繰り返しながら、やっと二人が同じ風景を 見たと思えた時、 私は、こんな心象風景があるのだ、と茫然としました。 その方は、やっと表現し得た、同じ風景をやっと誰かと共有できた という感覚があったようでした。 私はこの時、人の心の触れる、とはこういうことではないかと、 生まれて初めてと言ってもいい感覚がありました。 自分の方から何かを求めて本を読み、その中にあった言葉に ”ああ、これだ、私が言いたかった気持ちは”、という場合は、 自分の方から積極的に触れに行っています。 しかし、今回の場合は、二人で協力して探しに行き、 やっと探し物が見つかったその時、私はAさんの心に 触れ、たぶんAさんは心に触れられた感覚があったのだと 思います。 ひとつの風景を共有したあとの、2人の何とも言えない空気感。 安心とは違うけれど、やっと理解し得たという安堵感。 共有した風景を見ながら、これから、ここからスタートしようと お互いに思えた感覚。 うまく表現できませんが、心が触れ合うことで、 理解しあったことで、生まれてくる何かが確かにありました。 心に触れる、ということを、体感したセッションでした。 ベストライフコーチング お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年04月06日 14時31分51秒
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