カテゴリ:あきらめるな
『星の巡礼』パウロ・コエーリョ著の中から、「夢をあきらめるな」という内容の
文章のご紹介の、3回目です。 前回までの内容を私なりに要約すると、 「若い頃は誰でも夢を持ち、それは魂に栄養を与える。 しかし、次第に自分の中に自分を批判するもう一人の自分が現れ 良き戦いをする前に、その夢を殺してしまう そして、次第に”時間がない”と自分の夢を追いかけるのをやめ、 ”人生にほとんど何も望まない方が、賢くて公正で正しい”と思い始める」 というものでした。 では、3番目の症状は、どんな症状なのでしょうか。 あなたのクリックをご協力くだ さい。ありがとうございます!! //////// 「夢の喪失の第三の、そして最後の症状は安逸である。 人生は日曜日の午後になる。 我々は何一つ偉大なことを望まず、我々が与えたいと思う以上の ものを何も要求しなくなる。 このようになると、我々は自分が成熟したのだと思いこむ。そして、 若い頃の思いを忘れ去り、個人的で職業的な業績を追い求める。 同じ年ごろの人たちが、人生からまだあれを欲しいこれを欲しいと 言っているのを聴くと、びっくりする。 しかし、心の奥底で、自分は自分の夢のために戦うことをあきらめたのだ、 つまり、良き戦い(*自分の夢に挑戦すること)を戦うのを拒否したのだ、 と我々は知っている。」 //////// 「心の奥底では、知っている」 という言葉がズシンと響きます。 私が、以前、NHK『クローズアップ現代』で、日本永住を決めた、日本文学研究の ドナルド・キーンさん(89歳)の話を聴いた時、素敵だなと感じた表情がありました。 「完全なる文士になるのが夢です。」と言われた時、キーンさんの目が 少年の目のようにキラキラと輝やき、表情がとても柔らかく、 89歳という年齢が信じられませんでした。 いくつになっても、”良き戦い”が、私たちの魂の栄養であることを 教えてくれます。 さて、安逸を覚えたあとは、どうなってしまうのでしょうか。 心の奥底では良き戦いを諦めたことを知っているわけですから いい状態ではなさそうです。 //////// 「夢をあきらめて安逸を見出すと、我々はほんのしばらくは安らかな 時期を過ごす。 しかし、死んだ夢は我々の中で腐り始め、我々の全存在を浸し始める。 我々は周りの人々に冷たくなり、さらにはその冷たさを自分自身に 向け始める。 こうしたとき、病気やノイローゼになるのだ。戦いの中で避けようとしたもの、 つまり、失望と敗北が、我々の臆病さのゆえに、我々に襲いかかってくる。 そして、ある日、死んで腐敗した夢は、我々を呼吸困難に陥らせ、実際、 我々は死を求め始める。 それは我々を、自らの確信、仕事、そしてあのおぞましい日曜日の午後の 平和から自由にするものなのだ。」 //////// いやはや、自ら避けた失望と敗北が、夢を避けることによって、 襲いかかってくるとは・・、なんだか暗くなってきましたね。 では、夢をあきらめた人に救いはないのでしょうか? 次回は、このお話の続きです。 ベストライフコーチング お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年08月18日 15時43分37秒
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