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次にお世話になったのはP会かな?
あの頃は渋谷区に住んでいて家から車で15分で会に行けたのもでかかった。 あの頃の嫁は、どこへ行っても治らず。 頭を抱えた状態だった。 そんな中会の人はいい人ばっかりでものすごくお世話になった (中には変な人もいましたけど) あの頃は本部に調整師なる治療家がいて安く治療してもらっていました。 あの頃本部にいた調整師なる人たちは僕にはあまりわからなかったけれど人に触らずというということにこだわっていたようにも思う? 確かに触らずに治せるってすごいとは思うけどそれって僕が作った機械でも同じようなことを出来たことを思うとそんなに重要なことではないのではないか今になって思うとそう思う。 僕が作った機械のやつでは写真を調整して本人に影響を与えるものや音を使って調整するなどこれは全部たけちゃんに教わったもので僕の考えたものは基本たけちゃんが基本にありそこから抜け出すことはできません。 しかし、思うことは基本中の基本であり、間違っているとは思えません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.01.15 13:28:19
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