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テーマ:たわごと(26875)
カテゴリ:元ナース☆只今専業主婦の戯言♪
最初から読みたい方はこちら 久しぶりの戯言です。 私は短大でしたが、一応卒論なんてやりました。 「卒論」 病棟実習が終わって、あと残るのは卒論のみとなりました。 一応ね、短大だったけど卒論もやったんですよ。 でも、大学のに比べれば厳しくないのかもしれないですね。 (大学にもよるだろうけど。無いって所もあるって聞いた事もあるし・・・ホントかよ?!) 週に1回は大学に通って、卒論の勉強をやっていました。 私は終末期医療にその頃は興味があったので、 成人看護の先生がターミナル専門だったと言う事もあり、 そのゼミを選択しました。 私の学生の頃は丁度、 インフォームド・コンセント が病院でされ始めた時期で、それに伴って日本での 「告知」 のあり方がいろいろなメディアで取り上げられていた時期でした。 そもそも、 「告知」 が日本でされなくなってしまった原因の一つに僧侶の話があります。 家族の希望で、末期癌の僧侶に病名を告げずにいた医師に ある日、僧侶が医師に 「本当の病名を教えてくれ」 と詰め寄ったんです。 「私は僧侶です。包み隠さず話して下さい」 と僧侶はまた言うんです。 押し問答の挙句、悩んだ医師は相手は僧侶という事を判断して 本人に末期癌である事を告げました。 すると、その僧侶はその後自殺してしまったのだそうです。 そんな話もあったりして、日本では告知はしない方がいいのでは・・・ と言う方向になった、なんて言うお話があるんですよ。 しかし、告知をしない医療は限界に来ていたんでしょうね。 本人がちゃんと自分の病名を知っていない事は 様々な治療に対しての妨げになってしまうんですよね・・・。 一番の理由はそこだと思うのですが、他にもいろいろ問題が出てしまうのでしょう。 論文にも流行ってあるんですよね。(笑) そんな時期だったので、インフォームド・コンセントに絡んで 告知、ターミナルケアと言う風な流れで関心を持つ学生も多かったように思います。 また、病院での死という事に対しても、 いろいろ言われていた時期でもありました。 医療保険が圧迫されていると言う事もあったのでしょうが、 マカロニ症候群になりながら、死を待っている状態や、 助かる見込みの無い患者への肋骨が折れても続ける 必死の心臓マッサージなどは現場の医療関係者の心にも 矛盾を感じずにはいられない事柄だと言われていました。 その後、介護保険が出来て在宅と言う道も開けやや落ち着くのですが、 まだまだ手探りの状態なのではないかと思います。 そんな事が言われていた時代だったので、 私は自分の「死」というものも考えたりしていました。 また、高校生の時に無くなった祖父の事も印象深かったから、と言う事もあります。 と、言う事で私の卒論のテーマは 「死に対する年齢別のイメージ」 というようなもので、アンケート調査をして他の論文なんかも読んだりして 一応論文らしきもの、を完成させました。(笑) 今、読み返せばなんとお粗末なものでしょう・・・。 恥ずかしい・・・ってな物ですが、 案外、あの作業は嫌いではなく楽しかった事を覚えています。 就職してから病院でも看護研究ってやったのですが、 とても時間が無いのと、やり方が雑になってしまうのとで、 すごくジレンマがありました。 大学病院の方が、看護研究とかももっときちんとやっているのでしょうが、 ほら、私は奨学金もらっちゃったからさ・・・。 丁度、今頃の時期卒論のまとめで頑張っていました。 卒業を控えた学生の方はそんな時期ではないのでしょうか? 頑張ってくださいね♪ そして、無事卒論を終えた後に先生が一言 「貴方達、国家試験の勉強はしてるのかしら?」 えっ?! ( ̄Д ̄;; とみんな凍りついていました・・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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