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今日は会社の健康診断がJR六甲道駅近くであるので、でお出かけしてきました。
健康診断後は、会社の人と別れてちょっとここで単独行動する事に。 六甲道と言えば、私が生まれてから5歳まで住んでいた地元です(もう30数年前になるのかな) 殆ど当時の記憶が無いので、一度どんな所か見てみたく機会があったら来ようとずっと思ってました。 とりあえず、駅北のドムドムバーガーで遅い朝食を取って商店街っぽい所を抜けて、元住んでた場所の近くらしい灘小学校を目指しました。 神戸では震災があってから建物や道の感じががらりと変わったみたいですが、商店街付近のこの坂の感じはなんか懐かしい気がしました。 灘小学校に向かうと言っても初めて降り立つ駅で右も左も分からないので、茨城の姉のに電話して色々聞きながら歩きました。 姉は小学校5年生ぐらいまでこっちだったので、駅によく父を迎えに言った話とか、駅前のダイエーで母が働いてた話(もうダイエーは見つからなかったです)とか、帰り道のお団子屋で3色のお団子を買って食べてた話とか教えてくれました。 途中小学校っぽい建物が見えたので近寄ってみると、六甲小学校で微妙に違う・・・ のちず丸で現在地を確認しながら海側に歩いていくと、通りの角に六甲の交番が・・・ ここは覚えてる気がする・・・ たしか、いつも3輪車にまたがりJRの電車を眺めに行って迷子になってる所を保護されてたと言う・・・ 母と姉の話では、その頃自分は迷子の常習犯で灘の警察署では顔だったらしいです。 警察から電話があって迎えに行くと、またお宅のお子さんですかとか、 警察署でお菓子やバナナを頂いてご満悦だったりとか、一度はパトカーで送り届けてくれたりとか・・・ 今の自分にはそんな覚え全然無いのですが、酷い子供だったんだなぁ・・・ 六甲の交番があるなら家や小学校もそう遠くないはずと思ってたら、ありました灘小学校。 こんなに小さい学校だったんだ~ ここは自分がまだ小さい時に、姉に女装させられてランドセル背負わされて1回だけ登校した場所・・・ 昔のはこの近所だったと言う事で、姉と携帯で話しながら、姉が覚えてた住所の近くを歩き回って見ました。 けれど、この辺りの道路は記憶よりもずっと広くなって小洒落てて、昔の面影が残ってる所は無い感じでした。 昔のお隣さんも震災後は引っ越しちゃったとの事で手掛かりが無く、まぁこの辺りが生まれ故郷だなって事で今日の散策は終了する事に。 姉によく置いてけぼりを食らったり撒かれたりした公園も何処にあるのか判らなかったけど、この坂の感じと海側にJRの線路が見える所や振り返ると山があるって景色だけは体が記憶してたみたい。 (この坂は姉が遊びに行く時、自分も連れてってと幼い自分が3輪車で全速力で追いかけていった坂らしいです・・・今考えるとブレーキも無いのにどうやって3輪車で止まってたんだろう ここから帰る時はちょっとセンチな気分になったけど、自分が生まれ育った場所が見れて良かったです。 姉も連れてくれば、もっと詳しい解説が聞けたんでしょうけど、しばらくは兵庫でお仕事なのでいつかそんな機会もあるでしょう。 そのうちまた来て見ようかな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.06.03 23:04:08
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