カテゴリ:読書日記
なんだか久々にハードなテーマを扱う。
健康増進法って、アホちゃうか?というのが今日のテーマである。 後半ではとくに、人間の自由とバトルとの関係を考えている。 参考文献(今日読んだ)を先にあげておこう。 重田園江『フーコーの穴』。 あまり分析の切れ味が鋭い人ではないけれど、統計学的思想のヤバさの紹介が分かりやすいので気に入っている。 さてこの『フーコーの穴』第4章に"健康包囲網"という表現が出てくる。 "健康包囲網"とは今の日本のことを風刺したフレーズである。 そういえば健康、健康ってやたらうるさい。 私は健康増進法による喫煙者パージに対しては明確にアンチの姿勢をとっている。 ここで強調しておきたいのは私じしんはタバコは嫌いだ!ということである。 タバコ嫌いなのに、アンチ健康増進法、というのは矛盾したスタンスのように思われるかもしれない。 しかし、私が嫌いなのは、健康増進法をタテに=お上の権力をカサに来て、喫煙者を社会的に排除しようとするその思考法の方である。 よって私がアンチ健康増進法派なのは、タバコの好き嫌いとは関係ない。 この健康増進法の図式はいままでいろんな場面で政治的社会的に利用されてきた。 いわゆる「らい予防法」をタテに=お上の権力をカサに来て、日本社会全体がハンセン氏病患者を徹底的に排除した図式もそうだ。 何を大げさな、と思われる方もいるかもしれない。 しかし、重田もいうように「健康には限度がない」のである。 この健康増進法の図式が拡大していけば、次のようなことだって想定される。 201X年、改正健康増進法が施行、職場帰りの飲酒は生活習慣病のリスクを高めるとして、指定地域におけるアルコール類の販売が禁止される・・・ ま、ここまで来るとさすがにSF的だが、しかしこれに類似した動向は十分にありえるだろう。 私には今回の健康増進法で排除される「タバコ」はスケープゴートにしか見えない。 たしかに喫煙者の中にはマナーが悪い人も多い。 しかし、マナーが悪い、タバコの煙はカラダに悪い、という理由で公共の場所から法律をもって一方的に追放しようとするのはどうなのか? タバコは私は嫌いだし、公共の場所にあって自分の側で吸われたら間違いなく注意する。 友人の部屋で友人がタバコを吸うときも、健康状態によって許容するときは何もいわないが、つらいと感じたらはっきりいう。 宴席でも、いい料理を味わっているときに、タバコの煙が流れてきたら「後で吸ってくださいませんか?」と上司に注意するときもある。(カウンターだけの割烹料理屋でほかの客もいるのにタバコを吸うという行為が上司であるとか関係なく、そもそもダメな人間であるのだが、軽蔑するだけでなく、注意もきちんとすべきだ。) まどろっこしい言い方をしたが、要するにタバコ害は個人として対処することが十分に可能である、ということなのである。 別にお上の力添えなんぞ必要ない。 健康増進法をつくった人は、普段タバコの煙に眉をしかめつつも、何も言わない人のような気がする。 それでまあ積年の恨みをはらすために健康増進法でタバコを目のかたきにしているのだろうが、こういう威圧的なやり方で他人の自由を簡単に奪う発想をする輩は嫌いだ。 タバコが嫌いなら嫌いという。 相手が言い返してきたら、妥協点をさぐるまでのことだ。 私はこういうバトルはとても大切にしている。 自分自身の自由も、相手の自由も守るための重要な作業だからだ。 法律に甘えて、自分で「嫌だ」という気持ちを主張することもなくタバコを追放すればいい、という人は私とは友達にはなれない。 (じっさいこのテーマで職場の人間2~3人と論争になった。幸い、交友を破棄されることはないが、この点で折り合えなければ交友を破棄してもかまわないとも思っている。) 人間は考える葦である、というのは有名な言葉だ。 でも、考えるだけで実行しなければ、ただの葦だ。 タバコが嫌なら言いましょう! 法律の力になんか甘えずに、ね。 ものいう葦になってみては? 自分の自由を自分で守り、相手の自由を尊重する態度も身につく最良の道ですよ。 (ただしあきらかにラリってる相手などの言葉が通じない輩とは会話そのものが成立しませんから、おすすめしません。) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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